Hidden Mystery - 01

 どこの業界にも、組織というものは存在しているので。
 所属するかどうかは自由である場合もあれば、事情により強制的に所属をする場合や、そんな組織が存在することすら知らないまま生きていく場合もある。そして『ウィザード』の場合は『院』と呼ばれる組織――『魔術院』や『魔術研究所』等各々勝手な名称をつけるので、最終的に端的に『院』と呼ぶことで認知されている――が存在し、『ロード』と呼ばれるトップの下、各々自由所属で魔術の研究をしている。そもそもその存在自体あまり有名なものではなく、相応の実力者に対して『院』の人間から声が掛かる形で『院』という場所を知る、という場合が圧倒的に多い。律の場合、世界最高峰の『ウィザード』と謳われた茅嶋 雪乃を母に持っていること、そして雪乃と『院』の間に浅からぬ因縁があることもあり、所属はしていないが『院』との関わりはある。

「……うわ呼び出し来てる……」
「げ。今すか」
「今すね……」

 一仕事終えてホテルに戻ると、テーブルの上に見覚えのない紙が一枚。手に取ってその内容を読んだ瞬間思わず眉間に皺が寄る。読み終わった瞬間にふわりと律の手から離れたそれは、そのまま空間に溶けるように消え失せた。『院』の人間がよく使用する魔術的な伝達手段の一つだ。

「いっつも思うんすけど勝手に人んとこにお手紙置いてくのどーなんすか、別に居場所言ってる訳でもないのに」
「まあ俺も居場所別に隠してないからあれなんだけどさあ。こっちの都合考えないからめんどくさいなあの人たち」
「どうにかならないんすか」
「どうにかなるならとっくに縁切ってるんだよねえ」

 溜め息一つ。その実力を以て『院』の人間を黙らせ続けた雪乃にどこまで倣えるかは難しいところだ。そして雪乃を隷属させられなかったからこそ、その息子である律は何としても手中に収めておきたいという思惑が透けて見えるようになって早数年。名目上は『院』で生活している若い『ウィザード』への技術指南や、『院』周辺の『彼岸』対策、研究成果を奪い取ろうとしている『彼方』対策等、普段律が引き受けている仕事とそれほど変わらないのでタチが悪い。実際のところはといえば、毎回何らかの実験台にされている。
 ――彼らが欲しいのは、『自分の研究の成果を試す実験台』だ。それは『彼方』や『彼岸』相手ではなく、同じく魔術を使う『ウィザード』に向けられる。他の『ウィザード』相手に自身の研究成果がどれほどの効力を持つか。結果として死ぬことも有り得るそれは、『院』でほかの研究をしている『ウィザード』には向けられることがない――他の研究が止まってしまうのは彼らの本意ではないからだ。自分の研究にも他の研究にも興味があるが故に、『院』で研究していない『ウィザード』は彼らにとって価値のある存在ではない。

「俺はもういい加減『エクソシスト協会』よろしく『院』も改革した方がいいと思うマジで」
「妖怪大戦争の話してる」
「仕事の派遣的な組織に作り替えた方が健全だと思うんだよなー、研究機関として機能してるけど結局『ウィザード』の魔術なんて最終的には個人主義の秘匿事項で誰かに伝えて残す為にやってることじゃないんだから、組織としてある必要性が俺には全く分からない……」
「俺は律さんが何言ってっかさっぱり分かんないんすけど」
「自分たちの研究の為に数の暴力で殴ってくんのやめろって話だよ」

 気を抜けば溜め息が出そうになるのを堪えつつ、律はネクタイを外しながらソファに腰を下ろして手紙の内容を思い出す。彼らの呼び出しはいつもシンプルで、何日以内に『院』本部まで足を運べというものだ。今回引き受けている仕事の量と『院』へ向かう道中の手間を考えると、若干予定の調整が必要になる。何より『院』は『ウィザード』しか足を踏み入れることができない。律が『院』に手を取られている間、恭のことをどうするかという問題もある。言われる内容によっては恭の助けも必要になるが、一度行って話を聞かないことには分からないというのは非常にネックだ。
 頭の中であり得る可能性を幾つかシュミレート。どう考えても面倒な『院』の案件は早めに片づけてしまうのが吉だろう。となれば応援を頼んで恭と動いてもらった方がいい。

「……しょうがない、アレクに頼むしかないな……」
「了解っすー。……早めに片付くといいっすね」
「ほんとにね……」


 現在『院』に所属しているわけではない律からすれば、呼び出しをされたからと言って素直に『院』の言うことを聞く義理はない。それでも余程のことがない限りそれに対応することにしているのは、彼らが仕事の依頼という形を取ってくることと、断ったときに何が起きるか分からない――という2点の問題を抱えているからだ。
 雪乃と『院』の因縁は、律と恭にも関わりがあることだ。彼らの策略によりかつて雪乃のパートナーであった『ヒロイン』は『魔女』へと引き摺られた。その『魔女』は雪乃を傷つけるために律に目を付け、その策略の一つとして恭の姉は殺された。
 同じことが再度起こったとしても、何も不思議ではない。恭に手を出されたら、或いは桜に手を出されたら。そういったことを考えた場合、ある程度彼らの言うことを聞いてバランスを取るというのは必要なことだと律は考えている。全ての自由を『院』に奪われるわけにはいかないので所属はしないが、彼らの望みはそれ相応に叶える。そうすることで、律は今現在の立場を守っている。
 いつ壊れるかもしれないぎりぎりのバランス。どうしようもなく面倒だとは思っているものの、軽率に崩していらぬ混乱を招く方が余程面倒なので、諦めざるを得ない。
 幾重にも張られた『ウィザード』しか通ることのできない魔術障壁を抜けた先。森の奥にいるかのようなその場所に、『院』への入り口はある。手順に従って術式を展開、途端開けた視界の先にあるのは城壁と重厚な門だ。門から顔を出した一人の男が、律の姿を見て破顔する。

「お! リツだ。久しぶりじゃないか、元気そうだな! 今日は何の用だ?」
「やっほ、パトリック。『ロード』からのいつもの呼び出しだよ。元気?」
「元気元気。何ならこのところ俺たちは暇なんだけどなあ。わざわざリツを呼び出すような用件もないだろうに、何で呼び出しするかな」

 この場所で『院』の門番を勤めている、パトリック=バレッド。その実力を買われて『院』にスカウトされたパトリックはしかし研究は性に合わない、という理由で『兵』として『院』の門に常駐しているらしい。『兵』である彼らは『院』への異物の侵入の排除等の荒事を一手に引き受けており、『院』内部で行われている研究の邪魔をさせないのが仕事だ。彼らのような存在がいるので本来『院』から律への仕事の依頼は不要の筈なのだが、考え出すと腹が立つだけなので考えないことにしている。

「暇かー。それなら指南か模擬戦の可能性もあるかなあ」
「あっはっは、なら叩きのめしてやってくれよ、中の連中は偉そうにふんぞり返ってるだけだからな!」
「いいのそんなこと言って」
「いいんだよ、アイツら『兵』は駒だとしか思ってねえとこあるし。俺は与えられた仕事はちゃんとしてる。あとは悪口言おうが何しようが俺の勝手だ」

 にい、と笑ってみせるパトリックは随分と鬱憤が溜まっているのかもしれない。一度所属した以上、『院』を抜けるのは難しい――最初に魔術的な『契約』を交わすことになるので、そこに定められたことは全うする義務がある。一度嫌にならないのかと聞けば、外で有象無象を相手にするよりは遥かに気楽だと彼は言っていた。実際強固な魔術障壁の結界に守られたこの場所は、基本的には平穏だ。外にいるよりは安全なのでこの場所にいるが、それはそれとして『院』の人間は気に入らないというパトリックの気持ちも分からないでもないので、笑って誤魔化しておく。
 パトリックが開いてくれた門の中は、中世の広大な城。荘厳な雰囲気を持つその場所で、ところどころ空間が歪んでいて妙なことになっているのはいつものことだ。どこかの研究の実験の余波だろう。特に意に介することもなく、目的の場所へと真っ直ぐに足を向ける。余計な寄り道をして時間を食うのはごめんだ。

「失礼します、茅嶋です」
「どうぞ」

 扉を軽くノックして声を掛ければ、すぐに中から返ってくる声。それを聞いてから、律は扉を開く。
 扉の向こう――『院』の最高責任者である『ロード』が、律を見て笑んだ。

「わざわざ来てもらってすまないね、リツ。ユキノは元気にしているかい?」
「お陰様で母は楽しい隠居生活をさせていただいてますよ、『ロード』」

 現『院』の最高責任者である、老年の男性。名ではなく『ロード』と呼ばれるのは、彼が真名を開示していないからだ。『ウィザード』はその真名を以て契約を結び、相手の行動を縛ることができる。その術式に対する対抗策だろう。大抵の場合『ウィザード』であれば効力を無効化するすべも知っているので気にしていない者も多いが、『ロード』になるような者は用心深い――ということだ。
 正直そこまでしてトップの座に拘りたいものか、と律は思うのだが、世の権力者の考えることはよく分からない。人の上に立ちたいのは勝手だが、組織に属していない人間まで意のままになると思っているところが本当に苦手だ。
 彼らにとって、茅嶋 雪乃という存在は本当に喉から手が出るほど欲しい『被験体』だっただろう。その血筋に『ウィザード』がいた訳でもないというのにその力に目覚めた雪乃は、千里に拾われ師事し、あっという間にその頭角を現していたと聞いている。『ウィザード』よりも格上と言われる、魔術ではなく魔法を扱う『メイガス』でさえ軽く一蹴する程の実力を持つ雪乃だ――その力の根源を知りたいという欲求に晒されても何の不思議はない。
 そしてその目が、雪乃の『下位互換』として扱われる律に向くのもまた。

「申し訳ないのですが他の仕事の途中でして。早速御用件を伺いたいのですが」
「おや、相変わらず忙しいな、カヤシマは。そんな時に来てくれたことに感謝する。では手短に。――我らが『兵』の訓練指南をお願いできないかと思ってね」
「……このところ暇だ、というお話は伺いましたが。それは俺でなくては良いのでは?」
「いやいや。リツは外の者に詳しい、戦い方も熟知しているだろう?気が抜けているかもしれないからね、喝を入れてやって欲しいんだ」

 にこにこと笑いながら依頼内容を告げる『ロード』に、律もにこりと笑顔を返して。――さて、と考える。先程予想した通りの依頼内容だ。
 この『院』を守る『兵』の訓練――模擬戦。その真意のところは、律の契約している『彼岸』の『カミ』、幸峰 巧都の力を見たいというところが本音だろうか。
 巧都は己をその偽りの名で覆い隠しているが、その実態は旧くから契約した『ウィザード』の魂を喰らいながら在り続けている『彼岸』だ。律に力を貸してくれてはいるが、本来の力のほんの一部を貸し与えているだけでその力の底は知れない。そんな『彼岸』に力を借りている、ということは当然『院』も把握していて、どうにかそれを引き摺り出して確認したい、というところだろう。『院』の外の仕事を与えてしまうと、彼らはそれを直接見ることは叶わない。故に『兵』との模擬戦で見せてもらおう、という魂胆だろう。
 しかし律としては、意地でも巧都の力を使う訳にはいかない。そもそも巧都の力を借りるということは、そのまま反動で魔術を使えなくなるというデメリットがあり、こんなところでそんな状況に陥る訳にはいかないのだ。

「……お眼鏡に叶うかどうかは、分かりませんが。あっさりと負けてしまうかもしれませんね、『兵』の方々の実力は高い」
「謙遜しなくていいよ、カヤシマの――リツの実力の高さは皆よく知っている。君が手合わせしてくれるとなれば皆やる気を出すだろう。それにリツにも悪い話じゃないだろう? 修行の一環と捉えて気楽にしてもらって構わない」
「そう言われてしまうと、有難いお話ですね。不肖ながら誠心誠意努めさせていただきます」

 にこやかな笑顔とともに一礼。満足気な『ロード』の顔を眺めて。

 ――とっととくたばれクソジジイ、という気持ちは心の奥に押し殺しておいた。


「とはいえ1対多数はそれはもういじめというのでは?」

 ぶつくさと文句を言いながら、律は右手のレザーグローブを嵌め直す。呪詛は取り払われたとはいえ、そこには生々しい傷痕が治らないまま存在している――一生背負っていくものだと思っている上、この状態になって長いのでもう慣れてはいるのだが。
 それにしても忙しいのなら長時間拘束するのも悪い、早速準備に取り掛かろう、と好々爺のような笑みを浮かべていた『ロード』の表情を思い出すと本当に腹立たしい。訓練の一環でその腹に一撃入れさせてはもらえないだろうかと考えてしまう。

『得意分野だろ、ソリスト』
「まあね……」

 頭の中に直接聞こえた巧都の声に小さく同意する。魔術の術式に溢れたこの場所に、巧都は直接姿を見せたことは一度もない。タダで自分の情報はやれないと以前言っていたので、律が知らないところで以前『院』に来たことがある可能性はあるが、詳しい話は聞かないことにしている。好奇心を出したばかりに何らかの対価を要求されるのは御免だ。
 元々一人で戦うことに慣れてはいる。茅嶋の『ウィザード』として仕事をする前の数年は一人で動いていたし、誰かと協力するということはあまり得意ではなかった。今でこそ恭やアレクといった気心の知れたメンバーと組んで仕事に当たってはいるが、いなければいないで動くことができるように立ち回る癖は抜けない。場合によっては分断されることも多いので、相手に頼らない戦い方というのはどうしても必要になってくる。

「……いやでもやっぱ恭くんいるのといないのとじゃ負担が違うからなー……」
『ははっ、まあ頑張れ』
「うっかり気紛れで対価なしで力貸してくれたりしない?」
『やっしーが死ぬとしてもそれはねえな』
「ですよねー」

 その辺りは本当にきっちりしてるな、と苦笑いながら律は展開していた遮断の術式を解いた。こちらへどうぞ、という案内に従って城の中庭のような場所に出ると、既に何人かの待機者。見知った者もいれば初対面の者も混在している。手指のストレッチを行いながら、ぼんやりと様子を観察。どういう魔術を使ってくるか分からない――が、余程のことがない限りは対応できるはずだ。それだけの修行を巧都にさせられている。
 いっそぼろぼろに負けてさっさと撤退してもいいのだが、その場合程度によっては療養という名目で『院』に長居させられる可能性がある。そうなれば向こうに勝手にやられたい放題になるので、それは避けなければならない。しかし簡単に勝てる相手でもない。相手は『兵』、この『院』を外の世界から守り続けている者たちだ。それなりの手練れが揃っていることは承知している、甘く見て対応しきれる相手ではない。

「ようリツ、さっきぶり。ルール説明に来たぞ」
「パトリック。あれ、参加しないの? ジャッジ?」
「俺はリツと直接やり合うよりは見たい派、技術を盗ませてもらいたく」

 にい、と笑ってみせるパトリックに溜め息を返す。その方が勉強になる、と言われるとこちらとしてもプレッシャーだ。

「正直だなー。で、ルールどうなったの」
「『兵』が仮想敵であるリツを捕縛できるかできないか。制限時間一時間。耐え切るか逃げ切ればリツの勝ち」
「ふうん。生死は」
「問うぞ!? つっても、皆殺す気でいきそうな雰囲気だったな」
「なるほど。……手は抜けないか」

 ぐぐ。大きく伸びをして、脱力。勝利条件に捕縛を持ってくるところが本当に――魂胆が透けて見える。
 捕まる訳にはいかない鬼ごっこ。逃げ切るか、全員無力化するか。息を吐いて呼吸を整えて、パトリックを追い払うように手を振れば頷いたパトリックが下がっていく。
 神経を引き絞る。集中。研ぎ澄まされた感覚が、脳を塗り替えていくように。

「――まあつまり、俺に喧嘩売ってくるんだからどうなってもいい、ってことでいいんだよね?」