Murder Magic - 04

 数時間後、律は警視庁の一画に足を運んでいた。時刻は既に真夜中を過ぎているが、もともと夜型で仕事をしている律にとっては特に気に留める時間ではない。さすがに桜に関しては家に帰らせている――あまり体に負担を掛けたくないのだと言えば、また過保護だと言われるのは分かっているのだが。今回は『世界樹の断片』の力をしっかり使わせてしまった手前、なるべく早く休んで欲しいというのが本音のところだ。

「後学の為にお伺いさせていただきたいんですが、茅嶋さん何をどうしたんですか」
「質問が漠然としている」
「漠然としか聞けないでしょう……」

 苦笑する冨賀に、そうですね、と律は笑い返して。手元にある資料から1枚引き抜いて、冨賀の前に差し出す。そこに書かれているのは、2軒の家の図面だ。

「最初に引っ掛かったんですよ。これ、正方形だなーって」
「正方形……、……ああ、なるほど?」
「札が貼られていたのがここと、ここ。ちょうど正方形の辺の中央ですね。だから多分これは正方形であることに意味があって、いや多分他にも条件はあるんでしょうけどよそ様の術式にはそれほど詳しくないのでそれ以外分かんないんですけどね。でも、だからこれを崩せばいいんだなあとは思ったんですよ」
「崩した……何か壊したってことですか? 現場は床に少し穴が開いた分とお伺いしてた壁の穴以外に損壊はありませんでしたよね」
「だって事前に術式崩しちゃったら『彼岸』出てこないでしょ、条件が変わっちゃうので」

 先立って準備することは難しい。それこそ恐らくあの術式は壁を1枚壊すだけで発動を封じることができたのだろうとは思うし、調査して亡くなった二人もそこまでは辿り着いた可能性がある。同じように『彼岸』が出てから対処しようとして、しかしできなかった。術式が発動するとあの『声』から逃れることができなくなり、そして命を落としてしまったということだろう。
 実際問題、律にもどうすることもできなかった。桜がいてくれたからこそ、あの方法が取れた。確信はあったが一か八かであったことは確かで、目論見通りに事が運んだことにはほっとしている。

「発動させて、『彼岸』を喚び出す。喚び出してしまえばその時点で本来なら詰むようになってました。精神的な深い部分に作用して、強制的に『受け入れることが正解だ』という概念を注ぎ込んで、殺す。実際俺も何も用意してなきゃあと3分もあれば死んでたと思いますけど」
「何か用意をしていたから、死なずに済んだと?」
「今回一緒に仕事したのが妻だったのが功を奏したというか。彼女に憑いてる『カミ』、彼女が精神汚染されるなんて絶対に許しませんからね」

 ――誰も彼も、彼女には過保護なので。
 桜が危険だと察知すれば、『世界樹の断片』は彼女に憑いて体の主導権を奪取してでも桜を守る。その時点で桜は『此方』の人間から、『彼岸』に近しい存在に切り替わる。そうすれば余程のことがない限り、桜の精神的な部分に傷をつけるのは不可能だ。今回はそれを利用した。話をしたとき『世界樹の断片』は大層不満を訴えていたので後で怒られるだろうが、無事に仕事が終わったので許してほしいものだ。
 単なる明かり用の魔術の光源に、タイミングを指示するための術式を仕込んで。ぎりぎりまで『彼岸』を誘き出した上で、指先ひとつで光源を爆発させる。瞬間『世界樹の断片』に切り替わった桜が、樹木の壁を用いて正方形を分断して破壊。取り残される形になった『彼岸』を防御壁を用いて閉じ込めた、という流れを作り出したのだった。

「……すごい後学のためにならない気がしてきました」
「いや、そんなことはないですよ。『神憑り』にはまあまあこのテの人間がいますから、まあやり方次第です」
「情報として上げておきます。……ところで、あそこにいた『彼岸』は結局何だったんですか?」
「あれは多分――あの女が大事に大事に育て上げた、『僵尸』の成れの果てですよ」

 冨賀が持ってきてくれたあの土地に関する資料に書かれていたことは、要約してしまえば非常にシンプルだ。この土地で亡くなった者の記録はないこと。――そして、この土地に住んでいた筈の人間はいつの間にかいなくなっていたこと。『出て行った』という記録が、一切残っていない。ある日突然、そこには誰もいなくなる。
 神隠しの家、と呼ばれていたのは実に100年以上前。それから時を経てそんなことは忘れ去られ、50年前にも同じような事象が起きていた。そして今。

「捕縛の際にもおっしゃってましたね、茅嶋さん。あの女は『邪仙』だと」
「正直初めましてなんで自信はないんですけど、まあ十中八九間違いなく。『仙人』も『邪仙』も、その成り立ちからして異様に数少ないですし。これは俺の推測ですが、『僵尸』の術は死体を使うものだという話ですし、死体を弄っているうちにあの『僵尸』は体を失くして『彼岸』に昇華する形になったんじゃないかな、とは思うんですけど」

 こればかりは、口を割るかどうかは別としても本人に聞いてみなければわからない。
 出ていく者がいなかったのは、その死体を『僵尸』の実験として使用していたからということだろう。今回2家族の遺体がそのまま残っていたのは、多くの人間を呼び込むためだろうか。警察の捜査が入っている段階で、『指定時刻』に捜査員たちが入っていれば大勢の警官の犠牲が出ていたはずだ。早い段階で『此方』が介入しているので、彼女の目論見は外れたといったところだろう。
 10年掛けて準備された大掛かりな術式と言えば聞こえはいいが、壁を1枚造り出すだけで解けるような術式だ。どうにもやけに稚拙なようにも感じられる。他にも何かあるのではないかと現場を隈なく調べたが、やはりあの術式以外何も出てはこなかった。様々な情報の隠匿は彼女自身の仕業ではなく、あの『僵尸』――『彼岸』側の能力だろう。精神的な部分に深く関わることができるのであれば、意図的に認知をずらすのはそう難しいことではない。
 彼ら『仙人』や『邪仙』は、不老不死。悠久を生きる術をその身に宿したもの。時間に対する考え方も感覚も、恐らくは大きく違っている。

「そういえば、彼女の年齢が150くらいだろうと言っていたのはどういう?」
「適当にカマ掛けたら当たったに近いですね。神隠しの家が始まったのが100年以上前なら、まあ大体そのくらいかなっていう」
「ああ……」
「どういった経緯で何がどうなったのか、俺に知る方法はないですし彼女がどこまで話すかも分かりませんが。まあ、あとは俺の仕事ではないので」
「まあ、それはそうですね。聞き出せるかどうかは、こちらの仕事です」
「渡瀬さんが今お話しされてるんですよね。大丈夫ですか?」

 冨賀との付き合いは長いが、渡瀬はまだまだ新人の扱いだ。少しずついろいろなことを任せている、といったところだろうか。
 元より、いつ巻き込まれて死ぬかわからないような仕事場だ。様々な事情を持って彼らも集っているが、誰かが亡くなったからといって簡単に人員補充ができるような部署でもない。何の力もなくても現場に立つことを選んだような彼らであれば、尚更。

「アイツもそろそろ一人でできるように慣らしていかないと。私がいつまでもメンターができるわけではないので」
「……それはそうですね」
「それに、今回はお手柄だったでしょう。情報の穴に気づいたのも、神隠しの家のことを突き止めたのも渡瀬です。そろそろ独り立ちさせてやらないと」
「じゃ、俺も今後渡瀬さん頼りにさせてもらいましょう」
「是非。今回はありがとうございました、茅嶋さん。また何かありましたらよろしくお願いします」
「こちらこそ。……本当は何もないのが一番ですけどね」
「そうですね」

 2人で顔を見合わせて苦笑して。そうして、長かった一日が終わっていく。


 翌日。

「……聞いても! 何も! 分からん!」
「言うと思ったわ」

 別件の仕事の打ち合わせ前に、律は昨日の事件のあらましを恭に話していた。途中から口をあんぐり開けていた恭がどこまで理解できているかは分からないが、これも後学のためではある。意識のどこかに引っ掛かっていれば、似たような状況に陥ったときにでも対処はしやすくなるだろう。その辺りをおおよそ直感でどうにかするのが恭という人間なので。

「じゃせん? てあれっすよね? 早乙女さんの『彼方』側」
「そうそう。……そもそも知り合いに『仙人』がいる時点でめっちゃ珍しいんだよな本当に……何なんだこの子……」
「150? とかすごい生きてるのに律さんに瞬殺されるのカワイソでは」
「そんなん言ったら丁野先生とか……、……話ややこしくなるからやめとこ。まあ便宜上不老不死って言うけど、時間の経過で老化して死ぬっていうことがない分、時間はあるからね。ゆっくり修行しようがそれ以上の修行をするのをとりあえずやめとこうが自由なので、年齢で考えるのはナンセンス」
「はー……なるほど……?」

 首を傾げながらもふむ、と頷いた恭は、ひとまず納得した様子だ。元々感覚が鈍い恭が出会ったところでどうこうできる問題ではないが、知っていて悪いことはない。
 現在、渡瀬の事情聴取には黙秘を貫いていると聞いた。過去に彼女、或いは彼女の『彼岸』が手を掛けた人間の数はわからないが、今回の事件に関しては確実に彼女が行ったことだ。捕らえられたのだから、それなりの刑は課されることになるだろう。どちらにしろ、律は引き渡したその後のことに関してはノータッチだ。逃げ出した場合は連絡が入ることもあるが、それ以上のことは知らないようにしている。

「つか体がなくなるまで死体弄り回すって怖いんすけど……」
「可能性の話だからそうと決まったわけじゃないよ。ま、納得いかなかったんだろうね。何度も何度も繰り返して、結局ゼロベースでやり直した方が早いってなった結果ではあるのかも」
「怖い……」
「それより恭くんの方はどう? 憂凛ちゃん、大丈夫?」
「ん-、どうかな。あんま元気ないなーとは思うんで、まだしばらく家から通えるか2泊3日程度で済む仕事だとありがたいっすね……」
「そっか。分かった、調整しとく」
「……うっかりこのまま桜っちに俺の立ち位置奪われたらどうしよう」
「それはない。そうそう桜を危険に晒したくないです」

 今回はたまたま、桜が一緒についていくと言ったから二人で仕事をしたまでだ。どちらにしろ今の恭を連れて行くべき仕事ではなかったが、もし恭と二人で取り掛かった仕事であればもっと別の方法を考えてもいただろう。恭にも『分体』と『黄昏の女王』という心強い味方はいるのだから、条件さえ分かれば打てる手はあった。あの場に居てほしくない、というのは仕事とは別の律の個人的な感情だ。
 ただただ、無差別に人を殺すためだけの術式。今の恭には、荷が重い。そう思ってしまうのもきっと、過保護なのだろうけれど。

「俺なら危険に晒してもいいみたいな」
「……恭くんめんどくさい男ムーブにハマった? 誰の影響? 教えて殴ってくるから」
「何で誰かの影響ってすぐバレるんすかもー! 言わない! ごめんなさい!」
「普段言わないこと言うからでしょ」

 笑いながら、この間恭に頼んでいた仕事の資料に手を伸ばす。この仕事に関しては澪生から報告が上がっているので改めて聞くまでもないが、恭が感じたことも聞いておいた方が仕事の報告としてはまとめやすい。

「ところで恭くん今回怪我しなかった? 大丈夫?」
「いえい見ての通りぴんぴんしてる」
「あはは、よかった。じゃあ聞きたいんだけど――」

 こうして、いつも通り日常は続いていくのだ。