Murder Magic - 03
このままここにいても仕方がないと判断して、ひとまず桜と二人で現場の家を出る。伊鶴が待機してくれている車の中まで戻ると、持ってきていた資料を広げて情報共有。
「……律様が抜いていたのではなく、そもそも見落とされているというお話ですね?」
「ごめんて。でも俺遺体の情報以外は抜いてないよ」
「とすると……、この辺りでしょうか」
何枚かの資料のページを指さす桜の表情は確信だ。恐らく最初に資料を読んだときには気が付いていたのだろう。最近そういったことに関しては桜の方が鋭いな、と内心苦笑う。現場に同行することは滅多にないとはいえ、普段から多くの情報に目を通している。そういった場数はしっかりと踏んで、着実に桜の経験値になっているのだろう。
「目星はついたんだけど、裏取りはした方がいいかと思ってて」
「えっ、ついたんですか?」
「うん。冨賀さんが情報持ってきてくれる筈だから、それと合わせて足りないところ調べてもらっていい?」
「分かりましたっ。……で、律様は一人で戻られるおつもりですよね……」
「あはは、まあ、うん。裏取りが終わってから合流してちょうどいい時間じゃないかな」
「……もう。無理なさらないでくださいね」
「分かった」
そのまま軽食を取りつつ少し打ち合わせをしてから、律は一人現場へと戻る。時刻は夕暮れ、死亡推定時刻まではあと数時間。裏を返せば『それまで』は二人で行動し続ける理由も特にない。何より、現場の家にいる必要性すらない。現状では今調べたこと程度しか出てこないだろう。証拠を押さえてから動くべきか、先に手を打っておくべきか。
――罠が仕掛けられているなら、基本的には乗った上で完膚なきまでに潰したい、というところはあるのだが。しかし絶対に命を落とすことになるであろう条件に足を踏み入れるほど馬鹿にはなれない。条件に従って喚び出された『彼岸』が、満たした条件の対価として命を奪っているのなら、捕らえるべきは『条件を設定した者』だ。
「分かんない術式上書きすると何起こるか分かんないしなー……」
「つってもそれも目星ついたろ、やっしー」
「目星がつくのと中身が理解できるのって別問題じゃない?」
気配なく隣に現れた男――律が力を借りている『カミ』、幸峰 巧都がいししと笑う。ちらりと巧都に視線を向けて、律は息を吐いた。この男の助けを借りれば上書きすることはそれほど難しくないかもしれないが、対価として何を要求されるのかが分からないことを考えるとあまり進んでやりたい選択肢ではない。
「俺が本気で見たこともない術式なんてその時点で割と絞られる」
「まあ古今東西色々教えてやったからなあ」
「そうそう、どこぞの暴君のお陰でその辺の知識はね……。それでも巧都でも使えないものはあるじゃん、縁も所縁もなければさ。『陰陽師』の術式だって使えないでしょ」
「散々見てるから仕組みとしては分かるけど、ま、その辺は俺のアイデンティティ的に? んで、どうするつもりなんだ?」
「贅沢言えばどっちもどうにかしたいんだよな」
術者を捕まえたところで『彼岸』は残る。放置すれば新たに被害者が出るのは明白だ。起きた出来事はいつまでも残り続けるが、必ず風化していく。燻ったものを利用しようとする者は必ず現れる。後顧の憂いを断つのであれば、今ここで終わらせてしまうのが一番いい。
――何より。もう既に死者が出ている時点で、この土地に暫く新たな住人が来ることはないだろう。解体して更地にして、いいところ駐車場に変わるのが関の山。事故物件としてそのままにして、また誰かが購入する――ということは止めておいた方がいい。来るとすればそれはただの物好きか、或いは。
「……一応もう一回ぐるっと見回るか。巧都ヒマ? 手伝う?」
「ついて回る」
「鬱陶しいな?」
――そして、夜は更ける。
「……それにしても、1日静かだったな」
生活感に溢れた部屋の中で、電気も点けずに『時間』を待ちながら。今日1日の出来事を思い返して、律はぽつりと呟いた。
閑静な場所ではあるし術式として人払いは展開させてはいたが、それにしても近所の住人が外に出ているのを見かけていない。元々人通りが少ない場所ということになるのか、それともこの2軒の家に存在する術式がそうさせているのか。住人が住んでいない訳ではないことは事前の警察の資料から把握済だ。普段であれば聞き込みもするのだが、今回に限ってはそれは意図的に避けた。あまり余計なことはしすぎない方がいいと判断したからだ。
幸い、追加資料のお陰で近隣住民の名前も顔も把握はしている。残った必要な情報は今からここで何が起きるか、ということ。
ざわりと空気の揺れを感じて、律は視線を壁へと移した。日中確認した、壁の中の札のある場所。手慣れた『リズム』を刻んで、口笛をひとつ。ぼんやりと浮かぶ光源が部屋の中を照らし出す。室内に特に変化はないが、窓も開けていないのに確かに風が吹いている。
深呼吸ひとつ、目を閉じて気配を探る。既に『此方』を2人殺しているのなら、探られることも承知の上だろう。それでも何かしら手を打った形跡がないということは自分の術式に絶対の自信を持っているか、それとも簡単に変更できないかのどちらかだ。どちらであっても関係ない――やるべきことは、決まっている。
それは、唐突に。
ふわりと抱きしめられているような感覚。穏やかに、柔らかに、優しく。目を開いても景色は変わらない、何も見えない。しかし確かに、誰かが。何かが。
「いいこ」「いいこ」「ねえ」「このままずっといいこにしていて」「だいじょうぶよ」「そのままじっとしていて」「なにもこわくないから」「なにもおそれるひつようはないから」「しあわせね」「いいこ」「いいこね」「だからあなたもいっしょに」
「……ッ」
ぐらりと脳を揺らす声。恐怖も何も感じない、ただああそうなのか、と受け入れたくなるような何か。この声の言うことを聞いていればいいのだと思わせる何か。身体機能が一気に落ちていくかのように、力が抜ける。
遺体の死に顔が穏やかだったのは、そうして意識を操られたからだということがよく分かる。意識を操作してしまえば、自身の存在を恐怖に感じることはない。死を恐れない。時間をかけてゆっくりと溶かして、そして殺して奪う。これはそういう、ものだ。
口を開く。恐らく既に首は絞められているのだろう、声は出ない。だが、そんなことは想定済みだ。律とて、何の準備もせずに無防備にここに座っているほど馬鹿ではない。
ぱん、と。光源になっていた魔術の光が、音を立てて大きく弾けた――瞬間。
壁を隔てた向こう側、つまりは隣の家で大きな音がした。途端体に掛かっていた負荷が消える。動くという確信を持って間髪入れずに術式を発動、『プロテクト』と呼ばれる防御壁のその魔術で、自身の周囲ではなく一見何もない空間を囲い込む。視認できないというのはどうにもならないが、大抵はこれでこちらには手出しができなくなるという目論見は当たったらしい。
「ああ」「ああ」「どうして」「どうして」「わるいこ」「どうして」「ねえ」「どうして」
「どうしてもこうしても、連れて行かれたら困るんだよこっちは……」
けほ、と咳き込みひとつ。聞こえた声に言い返して、律はスマートフォンを取り出した。ワンタップで呼び出した相手は桜だ。コール音が鳴る間もなく、はい、と桜の声が聞こえる。
「こっちは上手くいった。そっちは?」
『問題ありません! 気配を感じないので本体はそちらかと思います』
「おっけ、そのままそっちで待機。このまま繋いどくよ」
『はい!』
声が元気そうでほっとするものの、気は抜けない。本番はここからだ。
――ばちり。嫌な空気を纏って、空間が歪んだ。
ぐあ、と押し寄せてくる何かに対して、展開したのは網状の雷撃。防御壁を捕獲用として展開している以上、自分の身を守る方に防御壁が使えないというのは不便ではあるが、やりようは幾らでもある。激しい摩擦の音と共に術が相殺されて、代わりに虚空から伸びた手が律の首を掴んだ。
「ッ……!」
「なーんで茅嶋のぼっちゃんが日本に居るのやら!? 君らって海外仕事主体じゃなかったっけえ!?」
きゃはは、と笑いながら律の首を掴んでいるのは、一人の女。もう片手には黒い煙を吐き出している煙管があるのを視認しながら、律は即座に術式を発動、手の中に現れた銃を掴んで女に向けて雷弾を放つ。おっと、と軽い調子でそれをよけた女の手が律の首から離れていった。咳き込みながらも律は女から視線を外さない。突然現れる相手は突然消えるのが定石だ。
くるん、と煙管が回った瞬間にぐわりと押し寄せてくる圧迫感。同時に部屋に黒い煙が満ちていく。刻んだ『リズム』と口笛で発動させたのは風の魔術。ぐるりと律を取り巻いて、黒い煙を近寄らせない。
「……犯人だと思ったよ。裏のおうちの蓮井 麻美さん。偽名だと思うけど」
「あっはは、何だバレてたの。上手くいってると思ったのになあ!」
女は笑いながら更にくるくると煙管を回す。ばきん、と嫌な感触が手に伝わって、律は眉を寄せた。律自身に影響はなくても、このままでは防御壁が保たない。防御壁が割れてしまえば、せっかく中に閉じ込めている不可視の『彼岸』が外に出てきてしまう。しかしここで防御壁の術式を組み直せば、今度は律の身を守り切るのが難しくなる。
「10年以上かけて準備したってのに、まだ2ケタも殺してないんだよ? ちょっと手引いてくんないかなー茅嶋くーん」
「いやもう俺に回ってきちゃったし。受けたし。手引けないなちょっと」
「ケチな男はモテないよ?」
「残念ながら既婚なのでモテなくて結構です」
お互いに軽口を叩きながら、しかし状況は何一つ変わっていない。女の術は煙管から発動しているのは見たままだが、しかしだからといってその煙管を壊せばいいというものではない。この煙が増える一方ということになれば、抑えきれるものも抑えられなくなる。
――10年前。この界隈に『最初』に引っ越してきたのが、向かいの家の蓮井家だった。夫婦関係は良好、近所付き合いもそれなりに。特に評判が悪いといったようなこともなく、特筆されるようなところもない。だがしかし、犯人がいるとすればその家以外にないだろう、というのは律が最初に辿り着いた答えだった。
裏の家から、この家の中はよく見える。自分が時間をかけて創り上げたそれを間近で見たいだろうと考えたとき、該当するのはその家しかない。着々と時間をかけて術式を練り上げ、『彼岸』を喚び出し、条件をつけて土地に封じ込める。そうして条件を満たしたとき、問答無用でその場にいる者の命を奪う――その瞬間を、犯人が見逃す筈がない。ご丁寧にコードを首に巻いて隠蔽工作まで行っているのだから。
ばきん、ばきん、ばきん。続く感触に、律は神経を集中させる。逃してしまえば消えて元に戻ってしまう可能性が高い。場合によっては自分を犠牲にするしかないが、しかし。
「じゃあ邪魔だからちゃっちゃと死んでもらって」
「……大丈夫、間に合った」
ばきん、と。響いた音は防御壁が割れる音ではなく。
床を割って飛び出した蔦が、女の体を締め上げた。煙管の動きが止まって、煙の噴出が止まる。展開していた風の魔術を散らせば、あっという間に黒い煙は消え失せた。
「ご無事ですか律様!?」
「……あー。隣の家から来ちゃう? しんじらんなーい」
ぱたぱたと部屋の中に入ってきたのは、『世界樹の断片』の力を借りてその髪をプラチナブロンドに染めた桜。はあ、と溜め息を吐いた女はしかし、諦めているような様子はない。
「2人に増えたら勝てると思ってるー?」
「いや、俺一人で充分。桜、これ代われる?」
「はい、大丈夫です」
防御壁の上から囲い込むように、樹木の壁が不可視の『彼岸』を覆い隠す。それを確認してから、律は防御壁の術式を解いた。見えなくても、そこに『在る』のは分かる。桜の創り出した樹木の壁を壊すのは、律の防御壁を壊すよりも難易度が高い。
樹木の壁を生み出した影響だろう、緩んだ蔦がぶちりと切れて、女の体が自由になる。煙管を構え直した女は、余裕の表情だ。先程優勢だった影響だろう――ナメられている。
所詮は世界最強と謳われた女の、『息子』でしかないと。
「……これは手加減されてるうちに倒せなかったことを後悔させないと、俺の気が済まないな」
静かに呟いた律の左腕に、ばちり、と雷撃が走った。
深呼吸は必要ない。集中は途切れていない。煙管がくるりと回るのを眺めながら、さて、と考える。どこまで使うか――徹底的にやるべきか。奥の手を見せる必要は無いだろうが、だからといって手を抜いて負けてしまう訳にはいかない。相手も奥の手を隠しているということは常に考えておかなければならない。何をしてくるか分からない相手なら、向こうが手の内を出す前に叩きのめしておくのが早い。
「――『汝、雷を司りし者、稲妻を従えし者。戦車を駆りて戦いし汝の力、卑小たる我に貸し与え給え』」
慣れた口上を口にすれば、左腕に走った雷撃はとぐろを巻くように律に絡みつく。ひゅう、と口笛を吹いた女がそのまま煙管を動かした。噴き上がる黒煙を無視して、律は次の術式を組み上げる。あの黒煙に触れるとどうなるのかは分からないが、とにかく触れるべきではないことだけは分かっている。
ふ、と嫌な笑みを浮かべた女が動く。煙管の先端が律の首元を狙っているのを視認する頃には既に術式の展開は終わっている。煙管の先端も、黒い煙も、律の目前で弾け飛ぶ。その次の瞬間には女の足元に展開する魔法陣、噴き上がった雷撃が女の体を裂く。
「がっ……!?」
「これで倒れたら腹抱えて笑うとこだった」
まともに雷撃を喰らった女が下がり、その表情から余裕が消える。考える隙を与えるつもりはない、流れるように銃を構えて照準を合わせて引き金を引く。慌てたように黒い煙が女の前へと集まっていきその雷弾を受け止めはしたものの、あっという間に霧散して。ぎりぎりのところで回避した女の唇が動いている――何らかの術式を発動させようとしている。
戦い続けるか、退くつもりか。どちらにしても逃がすつもりなど毛頭ない。口笛ひとつで呼び出した魔法陣は、女の後ろへ。疾った光の帯が、発動途中の女の術式を切り裂いていく。
「――な、」
「10年もかけて術式用意するくらいだからね、普段の発動は遅いと踏んだのは間違いじゃなさそう」
「さっきと話が違いすぎるんじゃない!?」
「そりゃ、今余計なお荷物ないし」
捕らえた『彼岸』は気にする必要がなくなった。桜はきちんと自分の身を守り続けている。そうであれば律が気にするべきはこの家に与える損害程度のものだ。とはいえ大掛かりな魔術を発動する必要も無いのだから、実際のところ何も気にしていない。
更に手を使うのであれば、まだまだ余力はある。『指輪』の力を借りてもいい、翌日魔術を使えない体になることを覚悟で巧都の力を借りることもできる。徹底的に叩き潰す方法は幾らでもあるが、手の内を全て明かすような相手ではない。
この女は、そういう意味で面倒だ。何百年経った後でも復讐に現れる可能性は充分にある。
「長年生きてて小童にいいようにされる気分はどう?」
「……はは、煽ってくるねえ。たかだか30年ちょっとしか生きてないくせにねえ?」
「女性に歳を聞くのはデリカシーに欠けるから嫌いなんだけど、150年くらいじゃそちらの界隈では『たかだか』なんじゃない」
「……調子に、」
「だから遅いってば」
苛立ちは表情に。浮かんだ青い血管を見ながら、律は話しながら組んでいた術式を発動させる。女の上下に展開した魔法陣は、雷撃の檻となり。一際大きくばちん、と音を立てたそれをまともに喰らった女は、そのまま昏倒した。
「はや……」
「桜、冨賀さんたちに連絡」
「あっ、はい!」
唖然と戦闘を見守っていた桜が、律の言葉に慌ててスマートフォンを取り出す。それを見ながら、律は樹木の壁に手を触れた。先程聞こえた声は、壁に阻まれてもう漏れ出てはこない。然るべき人間が上手く昇華させてくれることだろう。
問題は、あっさり昏倒まで追い込めた女の方で。
「……強制送還が関の山ってとこな気はするなあ……」
ひとりごちて、律は大きく溜め息を吐いた。