Murder Magic - 02

 2日後。別件の仕事の報告を済ませてから、律は桜と二人で件の家を訪れていた。二階建てで、外観も線対称のデザインで建てられていることが見て取れる。未だバリケードテープが残っているのは現場保全の観点からだろう。奇妙な一家心中事件が起きた家ともなれば、中に入ろうとする輩は幾らでもいるものだ。

「……うーん」
「外から見た感じは普通のおうち、って感じですね」
「そうだね、別に何も感じないな」

 言いながら、律は歩を進める。家の中には入ることなく、最初に調べたかったのは家と家の間の部分。境界線としてぎりぎり人が一人通れる程度の広さで、両家の間は溝が分断しているような形になっていた。
 家と家――居間と居間の、その間。恐らくこの辺りだろうという見込みをつけて、律は立ち止まる。注意深く辺りを見回したところで、そこには何の痕跡も見つけられない。土地自体にも家にも、何かが仕掛けられていたり何かが渦巻いている様子がない。
 律の頭に浮かんだのは、全員の死亡推定時刻の時間帯。同時刻に亡くなっている可能性が高いのであれば、その時刻にしか現れない何かがある可能性はある。あるいは、同時に家の中に人がいなければならない理由があるのか。

「桜、家の中に入ってみてくれる?そのまま調べるなら、居間に行ってほしい」
「分かりましたっ。どちらでも大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫」

 律の指示に、すぐに桜が東側の家に入っていく。家と家の間に大きな窓はないので、お互いの家の中を覗き見する、というのは不可能のようだ。
 少し待っていると、桜が居間に辿り着いたのだろうか。ゆらりと空気が揺らぐのを感じて、律は東側の家の外壁に目を向ける。見た目上は何も変わらない、変わりようもない。だがしかし、確かに何かが変わっている。

「……外観で分からないとすれば壁に何か仕込まれてるか……、……壊すのは許可取らないと流石に駄目だな」

 呟きながらもぺたぺたと壁を触ってみる。妙な材質が使われているわけでもない、一般的な家庭のそれ。だが一点に触れたとき、不意に風が吹いているのを感じた。――風は、壁から。

「……なるほど?」

 恐らくは『通り道』が設定されている。条件はどちらの家にも人がいること、だろうか。吹いた風は西側の家の外壁にぶつかっているだけで、通り抜けているような雰囲気はない。恐らくこの状況で律が西側の家に入れば、道が開くのだろうことは予想がつく。
 スマートフォンを取り出して、電話を掛けた先は冨賀。コール音が鳴るか鳴らないかのタイミングで、すぐに冨賀は電話に出た。今日行くことは伝えているので、待機してくれていたのだろう。

『はい、どうされました?』
「どうも。今例の現場来てるんですけど、ちょっと壁壊しても大丈夫ですか?」
『……ああ……、何かありそうですか』
「恐らく通り道が。仕込まれているなら壁の中かと思うので」
『なら後処理はこちらで何とかします。建物の倒壊だけ勘弁してください』
「分かりました」

 それほど大きな穴を開けるつもりはないが、許可が出れば一安心だ。電話を切ってからいつも通り口笛と『リズム』で魔術を発動、触れて反応のあった一点を切り取るように外壁を剥ぐ。ぱらりと落ちてきた直径10センチ程度の円形の欠片を受け止めて、律はそこにあるものを確認する。
 それは別段律にとっては驚くべき光景ではない、ある意味で『よくある』光景。だがしかし、いつ見てもあまり気持ちの良いものではない。

「……これはまあ豪勢な」

 外壁の中には、びっしりと赤い字と黒い文様が描かれた札が貼られていた。


 よくある形式ではあるが、書かれている字が何なのかは判別がつかない上に文様もよく分からない。眺めて考えていても仕方がなさそうなので、東側の家の外壁も同じように壊してみたところ、こちらは黒い字と赤い文様が描かれた札がびっしりと貼られていた。色は逆になっているものの、一見して同じものが描かれていることは分かる。それを確認してから、律は桜を追って西側の家へと足を踏み入れた。
 こちらは引っ越してきたばかりの家だったのだろう、まだ積みあがった段ボール箱があちらこちらに見受けられる。まさに片付けている最中といった様相で、やはりこの状況で一家心中が起きるとは思えない。

「あ、律様。どうでしたか?」
「壁の中にお札びっしりだった。壁の中全部じゃなくて一部分って感じ。よくある感じではあるけど、中身としては見たことないタイプだったな」
「独自の何かなんでしょうか……、誰が何の目的でそんなことをしたんでしょう」
「まあ一番考えられるのは50年前この土地に何が起きたか知ってる人、かなあ」
「でも警察の方が調べられても何も分からなかったんですよね。ううん……」
「それ以上前に一度遡ってもらおうか」

 きちんとした記録が残っているかどうかは怪しいが、ある程度までは何とかなるだろう。冨賀にメッセージを入れると、【今渡瀬が調査中です】という返事が返ってきた。やはり二人もそれより以前に着目しているらしい。待っていれば分かるにしろ分からないにしろ、何かしら連絡は来るだろう。そうであればこちらは現地でできることをするだけだ。
 先ほど崩した外壁のある壁側にはテレビや棚が置かれていたが、棚の中はまだあまり物が置かれていない。少しだけ飾られた置物は、近くにある空いている段ボールから取り出されたものだろうか。

「……気になってるんですが、一家心中と自殺の死因は何かの報告はありましたか?」
「ん? どうして?」
「血痕が残っていないので……、全て拭き取られたという感じでもないでしょうし、段ボール箱にも血の痕はありませんし」
「報告書には恐らく絞殺、と書かれてた。こう……お互いの首にコードみたいなものを巻き付けて」
「……自殺も同じような?」
「そうだね、自分で自分の首を絞めてる感じ。ただ、絞首痕とコードの太さはどれも一致していない。後からコードを巻いたって感じに見える」
「……律様私その報告読んでないんですけど、ページ抜いたでしょう」
「抜きました」

 遺体の写真がそのまま載っていたので、条件反射で抜いてから桜に渡している。あまり見せたくない、と言えばこんな仕事を一緒にしているのに過保護だと言われるかもしれないが、それでもわざわざ見なくてもいいものを見る必要はない。
 頭の中に資料に載っていた遺体の姿を思い浮かべる。コードよりも太い何かに絞められた絞首痕の上に、更にコードで絞まったと見せかけるような絞首痕が重ねられているもの。首を絞められて窒息していたとは思えないほど穏やかな死に顔。いっそ恐怖に目が見開いているという見た目の方がまだ理解できる。

「もう……。でもじゃあつまり、首を絞めてくるような何かがいるってことですよね」
「多分そうだろうね。そこまでは予想もつくんだけど、何がどう出てくるのか分からないのがなあ。警視庁の亡くなった二人も何か出てきたのなら応戦しただろうけど、そういう痕跡もなさそうだし」
「出てくる前に戦う気力みたいなものを削がれるんでしょうか……?」
「桜はどういう状況なら、戦う気力を削がれた上に穏やかな死に顔で死んでしまうと思う?」
「ううん……」

 捜査資料はしっかりしたものだったし、事前情報として調べたいようなことは凡そ網羅されていた。壁に仕込まれた札のことは気には掛かる。一部分だけびっしりと貼られた札、故意に作られた可能性の高い通り道。指定されているのであろう時刻に両方の家に人がいた場合死ぬ、というのはあまりにも殺意が高過ぎるように感じる。
 建売住宅なのだから、土地を買ったのも家を建てたのも不動産会社だ。誰が買って引っ越してくるか分からないのだから、恐らく特定の誰かを狙ったものではない。両家族の経歴も報告書には上がっていたが、特に接点もなければ怪しい点も見当たらなかった。何よりここに引っ越してくる人間だけを狙ったものなら、警視庁の二人が亡くなった理由が説明できない。
 十分に仕込まれた、無差別の愉快犯的な犯行。

「……自分が首を絞められて窒息していることが分からなかった可能性は、ありますよね」
「どうして?」
「こう、じわじわと……何か息苦しいなと思ったときには既に手遅れ、みたいな……?」
「それだと穏やかな死に顔に説明がつかなくない?」
「窒息に気づかない理由として、幻覚のようなものを見せられているのであれば有り得ないことはないと思います」
「幻覚か。それはあるな……」

 居心地の良い夢を見るように。穏やかなまま昏睡状態に陥って、そのまま何かに首を絞められて死んでいく。有り得ない話ではない。本人は幸せな夢の中で、現実は殺される。死んだことにも気づけないまま、奪い取られていくのかもしれない。
 しかしそうなると、最後に遺体にコードを巻いて首を絞めた者が存在する可能性もある。幻の中、自分や相手の首にコードを巻いて首を絞めるということも有り得なくはないが、そうなると毎度毎度誰か死んでいないかこの家に見に来ていることになる。
 ――絞るには、まだ情報が足りない。ちらりと壁に目を向ける。隣の家にも入ってみないといけないことは重々承知しているが、どうにも桜一人をこちらに残して、或いは桜に隣の家に入ってみてもらうのは気が乗らない。窓がないので状況を確認できないというのがそれに拍車をかけている。壁を壊す許可は得ているが、お互いの状況がよく見えるほど大きな穴を空けるわけにもいかなければ、札がどういう影響を及ぼすかも分からない。

「桜はこれ『彼方』だと思う? 『彼岸』だと思う?」
「どちらも、ですかね……? 時間も含めて、特定の条件を満たすことで『彼岸』を呼び出せる術式を仕込んでいる『彼方』がいる、というのが一番説明がつくんじゃないでしょうか……?」
「そうだね、俺もそう思う。……死亡推定時刻まではまだ時間あるし、んー……とりあえず隣の家も見てみるか……」
「私ここにいた方がいいですか?」
「とりあえず一緒に行こう。その後のことは後で考える」
「分かりましたっ」


 結論から言えば、隣の家は普通に生活をしている家族が住んでいた家である、以上のことが分かるような収穫はなく。散々悩んだ結果、律と桜は二人揃って家と家の間の部分に戻っていた。律が壁を剥いだ穴から覗く札が妙な存在感を放っている。

「……うーん、『陰陽師』の方が使うものではなさそうですよね……?」

 札をまじまじと確認した桜が首を傾げる。そうだね、と答えながら律はぼんやりと今まで見たことのある『陰陽師』の札を思い出す。彼らは札に文字を書いて札を使うことはあるが、ここまでしっかりと文様まで入れているという印象は律にもない。
 それは『彼方』になったところで――『外法使い』になったところでそこまで変わることはないだろう。どちらかと言えば札を使わなくなる方が多いかもしれない。お遊びで入れている可能性はあるので除外はできないが、どちらにしろ可能性はそれほど高くなさそうだ。

「色が入れ替わっているのは何か理由があるんでしょうか」
「入口と出口で何かあるのかもしれないね。流れとしては西から東へ、って感じだし」
「剥がし……はしない方がいいですよね、触ってどうなるか分からないし……」
「そうだね。これが恭くんだと何これー、べりーって剥がして怒るところだ」
「ふふ、恭さんらしいです」

 想像がついたのだろう、くすくすと笑いながら桜は札から視線を外した。風の流れは感じるが、やはり現状ではそれだけだ。札の写真を撮って誰か何か知らないか確認する方法もなくはないが、妙なものが写真と共にあちこちにばら撒かれてしまう可能性も否定はできない。両方の家に人がいる状態を作らない方がいい現状としては、時刻が来た際の状況を確認して翌日再度調査する、という形にするのが望ましい。時間をかけるのは避けたくもあるが、焦って不用意な行動をする方が避けたい。
 不意にスマートフォンが震えて、律は画面を確認する。表示されているのは冨賀の名前。

「もしもし?」
『茅嶋さん、今少し大丈夫ですか?』
「大丈夫です。50年以上前の記録はありましたか?」
『勿論。電話より、直接資料をお持ちします。現場にいらっしゃいますよね』
「はい」
『あともう一つ、茅嶋さんに謝罪が。情報に幾つか見落としがあります。まず10年前、その土地にあった空き家を取り壊していいと許可した人間を調べていなかった。申し訳ない』
「……あー」

 冨賀の言葉に、眉間にしわが寄る。50年前、この家は知らない間に空き家になっていた、と報告書には書かれていた。ここ数年はそういったものは取り壊され始めているので特に気に留めていなかったが、しかしそういった土地の整備に関する法律が整備されたのは比較的最近だ。取り壊されたのが10年前ということなら、まだそれほど整備はされていない。その間は所有者不明のためどうすることもできずに、40年放置されていたはずだ。

『とはいえ、残念ながら人物を突き止めることまではできていないのですが。10年前、所有者は不明のまま登記もされていない。その状態で通常の業者が家を取り壊すとも思えませんし、不動産屋がどうやって土地を買ったのか分からない。誰から土地を買ったんだ、という話になる』
「……なるほど? 通常ならできないはずのことをやったということは、操られた可能性がある?」
『そうです。そういった力を持つ者もいますよね』
「いるには、いますね」

 土地を売買し、近年建売住宅を建てた後に潰れた不動産会社。建築に関わったがその後潰れた建築会社。図面を引いた人間は不明のまま。――取り壊しを指示した人間が、図面を引いたのであれば。建築に関わり、この外壁に札を埋め込んだのであれば。
 点と点がゆっくりと繋がっていく。冨賀が持ってくる資料を見れば、恐らく繋がるだろう。
 礼を言って、律は電話を切った。律が考えたことが当たりであれば、思っているよりも早くこの事態は解決する可能性がある。

「……さて、どうやって引き摺り出すかな」