Murder Magic - 01

 茅嶋の『ウィザード』としての仕事のクライアントは多岐に渡り、基本的には受けると決まった仕事については律が直接相手に話を聞きに行くことにしている。向こうから訪れてもらう、という形にするとひっきりなしに来訪される可能性があり、パンクしかねないからだ。それでも時々律に直接頼みに来る相手はいるが――それこそクライアントが『彼岸』の場合、彼らはこちらの事情など知ったこっちゃない、という話なので――稀な出来事だ。
 それこそ、相手が所謂『常連』であれば、尚更。

「律様、お仕事中に申し訳ございません。来客がございまして」
「んー……? 今日誰か会う予定あったっけ」
「いえ、飛び入りです。どうしても早く話がしたいと警視庁の方が」
「え、珍しいね」

 自室で書類仕事を片付けている真っ最中。かつて父の秘書として働いており、現在は桜の秘書として動いている安藤 伊鶴が発したその単語に、律は眉を寄せる。日本における仕事において、警視庁は『常連』だ。自分たちでも不可解な事件を解決するための部署を内々に持ってはいるが、手に負えないものに関しては律に協力要請が回ってくることも年に数回程度はある。こちらも色々と目溢しをしてはもらっているので関係性としてはウィンウィンではあるのだが、だからこそ彼らが直接茅嶋家を訪れるのは珍しい。

「桜様が今ご対応されておりますが。どうされますか?」
「いや、来るくらいだからよっぽどでしょ。会うよ、誰が来てた?」
「冨賀様と渡瀬様が」
「おっけ、……あーっと、5分ちょうだい」
「承知いたしました」

 一礼した伊鶴が扉を閉めて去っていく。それを見送ってから律は眼前の書類を仕舞うと身なりを整えてから部屋を出た。応接室を訪れると見慣れた二人の男性と、二人と話していたらしい桜が立ち上がって律に一礼する。

「突然不躾な訪問で申し訳ない。茅嶋さんが暫くこちらにいらっしゃると聞いて、今しかないと思ったもので」
「いえ、大丈夫ですよ。お久しぶりですね、冨賀さん。渡瀬さんも」
「お久しぶりです」

 冨賀も渡瀬も一般人ではあるが、警視庁で『彼岸』や『彼方』に関する事件を取り扱う部署に所属している人間である。部署の特性もあり滅多に人員の入替はないため、生きてさえいれば付き合いも長くなってくる。渡瀬はここ2年ほどの付き合いではあるが、冨賀に至っては母の代からの付き合いだ。

「仕事の依頼ですか?」
「はい。……情けない話なのですが、先日うちの者が二人やられまして」
「……それは残念な……、何が起きたんですか」
「分からない、としか言いようがないのですが」

 す、と律と桜にまとめられた資料が差し出される。それを手に取って、ざっと概要に目を通す。
 ――隣接する二軒の住宅で、同時に一家心中事件が発生。強盗殺人の可能性も考えられたが室内が荒らされた形跡はなく、誰かが侵入した形跡もない。また、お互いがお互いを殺害しているような状況であったことから心中事件である可能性は高いが、遺体が皆穏やかな笑顔を浮かべていた上、二軒で見つかった遺体は全て死亡推定時刻が同時刻だった。二世帯住宅というわけではなくそれぞれ別の家族が住んでおり、そして二組ともまだ引っ越してきて間もなかったという。片方の世帯に関しては引っ越してきたその日だったというのだから、あっても挨拶程度の交流しかなかっただろう。
 どうにもきな臭い、と冨賀と渡瀬の部署に回り、所属している『此方』側の人間が二人派遣され、現地で調査を開始。だが突然連絡が取れなくなったために状況を見に行ったところ各々の家で一人ずつ、遺体が発見されたその部屋で恐らく自殺しているのが見つかり、その遺体はやはり穏やかな笑顔を浮かべていた。そして死亡推定時刻は同時刻――二家族の心中事件の時刻とも一致していた。
 読み終わって、桜と顔を見合わせる。――さすがにこれは、『彼岸』が関わっている可能性が高い。

「……詳しい話をお聞かせいただけますか」


 深々と礼をして去っていく冨賀と渡瀬を見送って、律はソファに身を投げるように腰を下ろした。聞いた話がぐるぐると頭の中を巡っている。

「……律様、本当に引き受けられるんですか?」
「ん-、まあ聞いちゃったし……。……スケジュールやばい?」
「いえっ、先日減らす方向で調整はしていますので、今1件程度なら突発で入れても何とかできると思います」
「ありがと。……でもこれはあんまり今の恭くん連れて行きたくないなー……精神的な何かありそうだしな……」

 スケジュールを調整してしばらく自宅から行ける範囲の仕事に絞った要因を思い出す。先日恭が昏睡状態に陥ってしまい、二日かかって助け出したことは記憶に新しい。精神的に厳しい状況に晒された恭は一見復調しているようには見えるが、正直現状では大きな負荷を掛けたくはないというのが本音だ。巧都の『目』を借りて一部始終を見ていた律としては、尚更。
 しかし、勝手に一人で仕事をすれば烈火の如く怒るのも目に見えた話ではあり、それを考えると頭が痛い。

「そもそも複数人で行くのまずそうだよね。一人で動いた方がいいような気がする。両方の家に人がいる場合に死んでしまう、複数人で居た場合はお互いにお互いを殺してしまう、ってセンが濃厚過ぎる……」
「流石に律様おひとりで行かれるのは、私としても心配ですし……いえいつも心配ですが……」
「んー、そうだよねえ」

 毎度毎度心配ばかりかけているのは重々承知しているので、余計な心労をかけるのも気が引ける。かといって予想できる罠にみすみすかかる訳にもいかない。
 その家があった場所は、50年ほど前は一軒の広い家が建っていた土地だったのだという。知らぬ間に空き家となり、10年ほど前に家が取り壊され更地となり、近年二軒の住宅として生まれ変わった。片方の家族が引っ越してきたのは3か月程前、そしてもう一組が引っ越してきたその当日。さすがにその状況で一家心中する程の何かがあったとは思い難い。調査に行って亡くなった『此方』の二人――『陰陽師』と『ヒーラー』だったらしい――にしてもそうだ。何もできないままに自殺に追い込まれたのか、それとも。彼らが何かの情報を得ていたとしても既に知る方法はない。

「対『彼岸』には強い『陰陽師』がやられてるって結構なもんあるしなあ……うーん」
「二人で行って死亡推定時刻のタイミングだけ一人は家を出るとかでどうにかなりませんか?」
「でも推定だから正確な時間が分かるわけじゃなし、下手なことはできないかな。それすら操作されてる可能性も否定できないし」
「……完全におひとりで行く気じゃないですか……」

 困惑した表情になる桜に、律は笑う。正直なところあまり一人で行きたい案件ではないし、誰かと行けるならその方がいいことも分かっている。分かっているが、誰かを殺してしまうのも自殺するのも御免だ。

「取りあえず最初の調査は一人でやって、それで何か分かったら誰かと一緒に行く。でどう?」
「どう、じゃないです嫌です駄目です! 何も分からなかったらどうなさるんですか? それに一人で無事な保証もありませんし」
「3か月無事に住んでたんだったらそれは多分大丈夫じゃないかな、と思うんだよね。ただ確かに、逆に3か月無事に住んでたなら一人だと何も出てこない可能性はある」
「でしたら一人も二人も一緒だと思いませんか! 私も行きます」
「え」
「私も行きます」

 繰り返された言葉に、律は瞬く。桜の目は真剣そのものだ、冗談で言っているとは思えない。そして長い付き合いだ、今の桜に折れるつもりがないことくらい分かる。
 何と言えば諦めるだろうかと一瞬考えかけて、やめる。桜は『神憑り』だ――精神的なものであれば『世界樹の断片』がいる、肉体的なものであれば『兎』が彼女を守る。他にも桜を愛して守っている『彼岸』は多いので、迂闊に彼女には手は出せない。今回の場合、彼女をパートナーとして仕事をするのは確かに適任なのではないか。桜を危険に晒すことになるのは頂けないという点が一番の問題ではあるのだが。
 数秒の沈黙。ちらりと視線を向けたのは、桜の周囲にふわりと飛んだ桜色の蝶。既に律の考えを見透かしているかのように、桜なら大丈夫だと告げるかのようなそれに、律は溜め息を吐いた。

「……分かった。じゃあそうしよう」
「えっ、いいんですか」
「言い出したの桜でしょ。……でも十二分に気を付けること。何か起きそうだったらまずは自分の身をしっかり守ること。いいね?」
「……!はい!」


『えー!? 何で俺のこと置いてくんすか! 何で!? ねえ何で!?』
「まじでうるさいな」

 数時間後。他の仕事を片付けてから、律は恭に連絡を取っていた。今日の案件を黙っておいて事後報告にすると絶対に怒るのが分かっていたので事前にと思ったのだが、事前に言っても怒るのならどちらでも一緒だったかな、と考えてしまう。

「今回は警察案件だし、桜と2人で行ってくる。本当は一人で行こうと思ってたけど桜に怒られた」
『当たり前じゃないすか何考えてんすかアンタ』
「まあそれでちょっと恭くんには別件頼んどこうと思ってさ。片付けておいてもらいたい案件ひとつあるから、また桜から連絡行くと思う。誰かいた方がいいだろうし、うーん……なかみーに手伝ってもらう?」
『もー……、……なかみー多分今はやめといた方がいいっすね、今朝会ったときにるっきーが何かみょーれんがどーのでめっちゃキレてた』
「あー……じゃあ澪生かな。今仕事落ち着いてるって言ってたから。合わせて連絡入れるね」
『了解っすー。……律さんマジで気を付けてくださいよ』
「分かってるよ。恭くんもね」

 本当に心配そうな声の恭に、律は苦笑う。『院』の仕事のときもそうだが、恭は自分が一緒に行けないときはやたらと気にする。この間の件を考えると恐らく頼られないのがつらいのだろうとも考えられるし、今回に関しては律がこの間の件を気にしていることが恭にも分かっているからだろうとも思う。
 他愛もない会話をしてから電話を切って、律は目の前の資料に向き直った。冨賀と渡瀬が置いていった、彼らで調べがついていることの一切合切がその資料には載せられている。さすが警察というべきなのか、その情報量はかなりのものだ。
 近所に50年程前の広い大きな家が建っていたことを知っている者はいない。ここ十数年で整備が進んだ区画のようで、長年住んでいる住人でも10年程度のため昔話を聞きだすのは物理的に不可能。過去にこの辺りの土地に住んでいた人間のことは調べたが、若い人間は住んでいなかったようで既に施設入居や死亡した人間ばかり。話が聞けそうな相手はいない。

「……気になるのはやっぱこの間取りかなあ……」

 ぱらぱらと紙を捲って、二軒の家の間取りが並んで描かれているページで手を止める。境界線を挟んで線対称に造られた家。遺体が見つかったのはどちらも居間、外壁を挟んで反対側で同じ惨劇が起きたということになる。書かれている部屋の広さと外壁の厚み、そして境界分の空白を合わせるとちょうど正方形の中で起きた事件のように見えなくもない。
 間取りの上には建築を担当した建築会社も書かれていたが、既に潰れてしまっているようだった。当時工事に関わった人間は現在は全員遠方で、現段階では連絡は取れなかったとの記載。図面を引いた人間に関しては建売住宅のため不動産会社に問い合わせたが、今は潰れた違う不動産会社から引き継いだ土地となっており詳しい資料は手元にないとの返答。
 くるくる。指先で何度も二つの家の居間を囲う正方形を描きながら考える。
 もし元々この土地に何かが居て、その上にこの家を建てているとするのであれば。『分かる』人間であれば、図面上で細工をすることは当然ながら可能だ。起こすことも封印することも難易度の高いことではない――相手による、という点は差し引くが。もし『分かる』人間が図面を引いたのであれば、この場合はどちらになるのか。
 壁の線をなぞる。家の輪郭をなぞる。とはいえどう見ても魔法陣のような『ウィザード』が使うものではないとなれば、律には専門外だ。多少かじってはいても、本職ほどは分からない。亡くなった『陰陽師』がその辺りのことに関して何も遺していないのであれば、日本古来の何かが施されているというわけでもないだろう。

「……どうすっかなー……」

 最後にくるり、居間を囲む正方形を描いて。宙を仰いだ律は、深々と溜め息を吐いた。