Unknown Error - 04
夕飯を食べて、一息。さて話を再開しようとなったところで、さて何を聞けばいいものか。既に恭としては頭がぷすぷすと煙を上げているような気さえする。普段こういったことは律と2人でああだこうだと言っていることが多いので、一人できちんと考える、というのは随分と久しぶりだ。
「もーこっちでの話なのか普段の話なのか記憶がごっちゃになってきて分かんねー……」
「何か書きながら話そっか?」
「何書いてっか分かんなくなりそう」
「あはは」
こうして憂凛と話しているのは普段と変わらない。だからこそ余計に境目が分からなくなってしまうのだろう。いつも通りのようで、いつも通りではない日常。
「……ゆりっぺ的には、解決方法何だと思う?」
「うーん。気にかかるのはその子供の声だけど。恭ちゃん子供置いてったりしないよねえ」
「それ、巧都さんにも言われた……」
「巧都さんは他には何か言ってた?」
「うーん。……あ、追い詰められたことは、って聞かれて」
「追い詰められた……? 子供の声の話から? 恭ちゃんが?」
「うん。……あれ、言われてみれば変な流れだな」
男か女かは分からない。子供を置いていったことはない。そこで恭が考えたのは、置いていくことが怖い、ということだったからそのときは特に違和感を感じなかったが、話の流れとしては唐突であるように思える。どうしてあのとき、巧都はそんなことを聞いたのか。
まるで頭の中を見透かしたかのように、とは思うが、相手が巧都なので見透かされていても何の不思議もない。恭の考えていることが分かったから、それを問うたのか。それとも、もっと別の理由があったのか。
「……もしかして」
「ん?」
「その子供、恭ちゃんだったりしない?」
「俺ぇ?」
思いもよらない憂凛の発言に、恭は目を瞬かせる。子供の頃の自分。そう、と頷く憂凛の表情は真剣そのものだ。何となく思いついたわけではないのだろう。
「恭ちゃんの心のどこかで、置いてかれたような気持ちになったことってない?」
「えー……自覚してる限りは……?」
「じゃあ多分、それは恭ちゃんが『置いてきたもの』かもしれない」
「俺が? 置いてきた? 何を?」
「つらいとか、しんどいとか、そういうの」
「あー……」
漫画みたい、と思わず呟いた恭に、そうだね、と憂凛が笑う。恐らく憂凛が着想したのもそこからだったのだろう。
置いてきたもの。つらいこと、しんどいこと。それこそこの世界に関わるようになってから、そんな出来事は多くあった。それでも自分では乗り越えてきたと思っているし、乗り越えようとしている。自分の中で、どうにか折り合いをつけて。
「じゃあやっぱり、俺が忘れてることに関係してるってことか」
「うん、そう思う。でもきっと、無理に思い出してもまた倒れちゃう」
「んー……」
「なので、恭ちゃん連れていきたいとこあるんだけど、明日一緒にどう?」
「え、でもゆりっぺ仕事」
「だいじょーぶ。今日は金曜日、明日は土曜日、お仕事おやすみですっ」
にこりと笑った憂凛にピースサインを出されて。
――曜日感覚ないんだよなあ、などと、ぼんやり考えてしまうのだった。
翌朝、起きると雨が降っていた。
雨でなければ、いつも通りの早朝トレーニングを行うつもりでいた。昨日は気付かなかったので何の話もできなかったが、今日は神社に行けば友人と禰宜にも話を聞いてみようと思っていたのだが。
「行くなってことかなあ……」
多少の雨であれば、無理にでも行くのだが。見透かしたような土砂降りの大きな音は、恭の行動を決定づけているようにも思える。下手に逆らって動くのも憚られたので、室内トレーニングに切り替えた。
いっそ寝て起きたら元に戻っていて欲しかった、とは思うが、そんなに都合よくいかないことも分かっている。
「おはよ、恭ちゃん」
「あ。おはよーゆりっぺ」
「朝ごはんにしよっか」
「ん」
そうこうしている間に憂凛が起きてきて、朝食を作ってくれている間にシャワーを浴びる。日々のルーティンは何も変わらない。いつも通り眠れたこともそうだが、基本的には本当に日常と何ら変わりがない。ともすればこのままこの状況で生きていけそうな程には。
限りなく日常に近い、日常ではない場所。
「今日どこ行くの?」
「ん? 琴葉ちゃんのところにね、恭ちゃん連れていこうと思って」
「琴葉先生?」
鹿屋 琴葉――高校生の頃から主治医として面倒を見てくれている『ヒーラー』の名前に、恭は目を瞬かせる。何か月かに一度は健康診断のような形でしっかりと診てもらうようにしている程度には、恭のことを分かってくれているし心配してくれている。同じく主治医が琴葉である律の方が、怒られるのが分かっているからなのかあまり琴葉を訪ねていない。会う度に「茅嶋さんにも来いって言っておいて」という言付けを預かる身にもなってほしいものだ。
「えーと……それはあれ? 俺が頭くなるとかあれこれのせい?」
「それもあるけど。恭ちゃんに何があっても琴葉ちゃんがいればまあ多少安心はできる、っていうのも、確かにあるはあるけど。そうじゃなくて……ええと」
「……俺が忘れてることに琴葉先生が関係あるってこと?」
「うーん。そう、だね」
憂凛の返事は歯切れが悪い。どう話せばいいのかを悩んでいるのだろうということは分かって、あまり追及する気分にもなれずにそっか、と返して恭は目を伏せる。会って話をすれば何らかのことは分かるだろう。考えるのはそれからでも遅くない、と思いたい。考えるのが苦手な恭にとって、あまり考えすぎるのはいい結果にならない気もした。
おいていかないで。
聞こえた子供の声が、不意に耳の中で響く。あれは本当に自分の声なのだろうか。つらいことも苦しいことも、受け入れて生きてきているつもりだった。そんな中で置き去りにしたものが、自分の中にあるのだろうか。
置いていってしまったのかもしれないそれを、受け入れたとき。自分はどうなるのだろう。
あまり想像がつかずに、恭は咀嚼した食パンを喉に流し込んだ。
琴葉を訪ねる頃には、あれだけ土砂降りだった雨は上がっていた。やはりわざとだなと思いながらも、通い慣れた病院へと辿り着いて。
「いらっしゃい、柳川くん。憂凛も」
隔週土曜の外来日だったらしい琴葉とは、病院の待合室で待ち合わせた。平日とは違い院内に人は少ないが、そこで話をするのは憚られたのだろう。借りたから、と案内された小さな個室で、琴葉と向かい合う。
「で? 柳川くんがどうしたって?」
「えーと、琴葉先生、とりあえず聞いて欲しいんすけど……」
まずは状況説明から。恭の中では一昨日まで律は元気だった、という話に琴葉は眉を寄せたものの、口を挟まずに話を聞いてくれた。時折憂凛の補足を交えながら、昨日2人で話した辺りまでのことを話し終える。聞き終えた琴葉はううん、と小さく唸って宙を仰いだ。
「……今の柳川くんが私が知ってる柳川くんじゃないのは、何となく分かる。から、その話も本当だと思う」
「俺そんな違うの……? 自分のことだけど心配になってきた……」
「うーん、何て言ったらいいか。でも何か、そうだな。笑うのが下手になったっていう表現が一番合ってるかな」
「あー……分かる……」
「何かやばそうだなってことだけ分かった」
「で、私にして欲しいのは、原因かもしれない柳川くんが忘れた記憶を紐解くこと、でいい?」
「琴葉ちゃんにもつらいことかもしれないけど……いい?」
「大丈夫」
心配そうな憂凛に、琴葉は笑う。その笑顔に嘘はない。やはり忘れている記憶には琴葉も関わっているのかと思うと妙に緊張して、ぴんと背筋が伸びる。どんな話が出てくるのかが全く想像がつかない。
とん、とん。琴葉の指が机を叩いて。少し考えこんだ後、その視線が恭を向く。雰囲気は柔らかで、少し面喰らってしまう。
「……そうね、柳川くんが高校2年生だった頃まで遡りましょう」
「高2?」
「そう。憂凛との1件があった日」
「!」
「あのとき、あなたは『誰か』に助けてもらった」
「誰か……」
冬休み、年が明けたら皆で遊園地に行こう。そのときに起きた事件は、長い間恭と憂凛が会わずに過ごしていた時間を生み出すきっかけになったもの。その事件が起きるまで、『此方』として生きるということがどういうことなのか、恭にはいまいちよく分かっていなかった。そういう意味でも、恭のその先を決定づける出来事だったとも言える。
あのとき、策略により一時的に憂凛は『彼方』へと――『半妖』へと引き摺られ、堕ちた。その憂凛に対して、恭はどう対処していいのか分からないまま近づき、大怪我を負うことになった。恐らくあのままでいれば、恭は憂凛に殺されていただろう。しかし、助かった。助け出された。
「っ……」
「……恭ちゃん、」
「だい、じょぶ。……うん、誰かが、助けてくれた……」
「そうだね。その後もまあ色々あったけど、君は大学生になった。大学で友達になったのは?」
「……ひびちゃん」
「そう、乙仲 響。他に一緒に行動してる人はいなかった?」
「……もうひとり、」
ずきんと頭が痛んで、思考を妨げる。響と初めて会ったのは大学に入ってからだった。そしてもう一人前から知っている人物が、同級生として。それは誰だったのか。どうしてだったか。
す、と琴葉の手が伸びてきて、恭に触れる。その温かさに、呼吸の仕方を思い出す。
「柳川くんの大学生活も、色々あった。礼拝堂のこともそのひとつ。――思い出したいと思うなら、覚悟して受け止めてあげて。きっと君にはその強さがあるって、信じるから」