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 朝目が覚めたら、まずは天気を確認。雨が降っていないようであれば、ジャージに着替えて顔を洗って、軽く準備運動をしてからジョギングへ。知り合いの神社でトレーニングをしてから家に帰って、それから朝食。それは長年続いている恭のルーティンワークである。
 その日も、別にいつもと何も変わらなかった。まだ眠っている憂凛を起こさないよう気をつけてベッドを出て、まだ暗い外からは雨の音が聞こえないことを確認して。いつも通りに1時間程度のジョギングとトレーニングを終えて家に帰ると憂凛が起きていて、朝食の用意をしている最中だった。

「おはよう、恭ちゃん。おかえりなさい!」
「おはよー。めっちゃいい匂いする! 今日は何?」
「今日はパンにしたよー。サラダとー、あと昨日の夜にキッシュ作ったのと、簡単に炒め物。足りる?」
「だいじょぶ! ありがとー」

 ひらひらと手を振って、ひとまず汗を流すために先にシャワーを浴びる。シャワーから溢れ出した水に冷たい、と思って――ふと違和感が頭を掠めた。だがしかしそれが何なのかが分からない。言うなれば、ルーティンに何かが足りていないような。
 こういったとき、恭は自分の感覚を信用することにしている。何かが違う、何かがおかしい。そう思うときは大抵「アタリ」だからだ。さて、それでは何が違うのか。今のところ思い当たることがない。知り合いの神社で友人と話して、禰宜と話をして、帰ってきて憂凛と話して。そこまではいつもと変わりなかった、と思うのだが。
 浴室を出て体を拭いて。置いてあったスマートフォンをとんとん、と叩くとひょっこりと白いもやもや――恭の相棒である『分体』が顔を出す。

『何や、どうした?』
「……ぶんちゃん、あのさー、俺今日何か忘れてない?」
『何やそのぼんやりした質問は』
「何か分かんないけど、ちょっと変だなっていうか」
『いつものカンか』
「そう、いつものカン」
『しかし、急にそんなん言われてもなあ……』

 困惑した顔文字が浮かび上がって、まあそうだよな、と恭は息を吐く。自分でも何がおかしいのかが分からないのに、聞いた相手が分かる訳もない。そのうち分かるだろう、とひとまず忘れることにして。

「そいやぶんちゃん、今日の俺のスケジュールってどうなってる? 仕事あったっけ」
『2、3日休みやて昨日言うてたやろ』
「あ、そか」

 そういえばそんな話をしていた。恐らくその2、3日で恭の仕事のパートナーである茅嶋 律は書類関係の仕事を終わらせる算段なのだろう。少しでも手伝うことができればいいのだが、書類仕事に関しては見ているだけで頭が痛い上、手をつけようものなら邪魔しかしないことは目に見えている。
 そこでまた、ちり、と違和感が走る。やはり何に違和感を覚えているのか分からないまま、恭はリビングへと足を向けた。テーブルの上には既に今日の朝食が並んでいる。

「あれ、なんか今日豪華じゃない?」
「恭ちゃん帰ってきてると嬉しくていっぱい作りたくなるんだもん」
「あはは。いつもありがと」
「どうぞ召し上がれ」
「はーい。いただきます!」

 朝食を食べながら他愛もない話をしようとして、言葉が詰まる。手が止まる。やはり何かがおかしい。おかしいはずなのに、淡々と事が進んでいる。まるでこれが日常だとでも言うように。
 ――限りなく日常に近い。だがこれは、違う。

「……変なこと聞いていい?」
「ん? なあに?」
「俺いつ帰ってきた?」
「え、昨日の夜。……え、急にどうしたの?」
「ゆりっぺ、いつも俺のこと恭ちゃんって呼んでたっけ」
「……ホントに大丈夫?恭ちゃん変だよ?」
「ういうい」
「え」
「憂生は?」

 違和感の正体。居るはずの愛娘が、居ないこと。今の今までそれを思い出せなかった時点で、既におかしい。
 最初の違和感はおそらく、憂凛が「恭ちゃん」と呼んだからだ。娘が生まれてから、彼女は恭のことを「パパ」と呼ぶことの方が多い。娘の世話で疲れていることも多く、朝から手の込んだ料理を出すことも少ないし、用意してくれるだけでもありがたいので全く気にしないと恭も伝えている。憂凛がしんどそうなときは、トレーニング帰りに何か買って帰ることも最近はよくある話で。

「……何の話をしてるの、恭ちゃん」

 心底不安そうな表情をする憂凛を横目に、恭はスマートフォンに手を伸ばした。何かが起きているなら、律に報告するべきだ。すぐに電話、とアドレスを呼び出して――しかし。

『お掛けになった電話番号は、現在――』
「あれ、律さん繋がらない……?」
「恭ちゃん本当に変だよ、どうしたの?何か変なものにでも遭った?――茅嶋さんは」

 困った顔をして。言いにくそうな表情で。続けて憂凛の口から放たれた言葉は。

「茅嶋さんは、3年前に亡くなったでしょ?」


「いやないやろ、何でやねん」
『関西弁移っとる移っとる』

 数時間後。仕事に行く憂凛を送り出して、恭は『分体』と共に現状を整理していた。
 憂凛に「『彼岸』のせいで記憶がおかしくなってるかもしれないからちょっと教えて」と頼んで聞き出せた情報が幾つか。律は3年前に不慮の事故で亡くなったこと。そのこともあって、恭と憂凛が結婚したのは昨年であること。今現在雪乃が代替わりすることなく当主を務めている状態の茅嶋家は、『ウィザード』の家系としての仕事を終わらせるべく、整理をしている真っ只中であるということ。現在の恭は仕事をする中で知り合った『磯城 十律』という『ウィザード』と共に、律がいなくなった後処理も兼ねて、茅嶋に回ってくる仕事をしていること。そこまで聞いた段階で憂凛が仕事に出なければならない時間になって、それ以上の話は聞けなかった。

「まずこの……誰? 読めない……シキさんだった? 誰? って話でさあ」
『スマホの連絡先にはあらへんし、やり取りしてる形跡も見当たらん。スマホは自分のん持ってここに閉じ込められたってとこやろか』
「うーん……、……いやもう何がどうなってんだか……」

 恐らくは何らかの『彼岸』の力ではあるのだろう。かつて朝起きたら中学生の頃に戻っていた、という経験をしたこともあるので、恐らくはそれに似たようなもの。今回の場合は律が亡くなっている場合の世界に飛ばされた、といったところだろうか、という推測は立つ。
 考えたことがなかったわけではない。もし律がいなくなってしまった場合、その先の自分は果たしてどうなるのか。仕事絡みであれば絶対に死なせるものかと思っているし、その為に尽力もしている。しかし不慮の事故となれば、それはどうにもならない話だ。

「とりあえず、茅嶋家行ってみるべきかなあ。桜っちに話聞かなきゃいけない気がする」
『せやなあ……』
「そもそも3年前ってちょうど俺が大学卒業して、律さんが本当におうち継いだぐらいの時期じゃん? わざわざそこで死んだことになってんなら、そこに何かあったりしちゃったり?」

 どうしても『磯城 十律』という謎の『ウィザード』の手伝いをする必要があるとも思えない。もともと恭は律の力になりたいと考えていて、他の人と組んでまでこの世界で仕事をすることが目標だったわけでもない。連絡先が分からない現状ではその『ウィザード』に話を聞けないので、知っているとしたら桜だ、という予想もある。そこで分からなければ、他の知り合いを当たってみる他ないだろう。朝起きた時点で分かっていれば、神社を訪れた際に話ができたかもしれないが、知らなかったものはどうしようもない。
 恭と『分体』しか同じ記憶を共有していないのか、それとも他に同じように飛ばされた者がいるか。そして、どうすれば元に戻れるのか。

「何か一人でこういうのするの久々だなー」
『……経験上恭が一人でこんなん巻き込まれるときは大概やばいねん……嫌な予感しかせん……』
「不吉なこと言わないで!?」

 訳の分からないことに巻き込まれたら、まずは情報収集から。
 その基本は、きちんと恭の中にも根付いている。