Mirrored Crossroad - 06
話は少し遡る。
『そういうことがあったから、一応惺さんにも報告。信用して全部話したけど問題ない? 急すぎたから事後報告になっちゃって申し訳ないけど』
「んー、俺は全然問題ない。むしろ教えてくれてありがと、今忙しいだろうに」
自室で、北原 惺は瀬名 空から来客の話を聞いていた。大丈夫、と笑う電話の向こうの声に少しだけ表情が緩みつつも、さて、と彼は考える。
瀬名 陽が双子だったことは知らなかった。当然だ、彼らは親戚付き合いを絶っていた。星と空が産まれたとき、双子が忌み子だという古い風習に盾突いて祖父母から離れたのだということは知っている。結局のところ囚われてしまったが、それはそれ。
瀬名 天という存在ができて、これで全て終わったつもりでいた。後は自分が生きる必要がなくなったとき、天にこの血肉を捧げて、それで終わり。そういう約束で、そういう契約だ。名付けて縛ったが故に、天は惺に逆らわない。契約がきっちり成立している以上、天が惺に逆らう理由はない。――何より、天は惺の一部のようなもので、悟は天の一部のようなものだ。『自分』に逆らう理由がない。
だが、天のような存在が他にも『残っている』となると、話が変わってくる。
「……空、翠に頼んで欲しいことが」
『まずオトーサンとオニーチャンに相談しろ』
「駄目って言われるに決まってんじゃんやだわ」
『この間まで話ができなくてオニーチャンにブチギレてたんじゃないのかよ……』
「ちょっとした意趣返し」
『だめ』
「ハイ。……まあオニーチャンちょいちょい夢見悪そうだし、負荷かけたくはないんだよな実際」
余計なものに目をつけられてまあ、と思う気持ちがないわけではないものの、一部自分にも責任があることは分かっている。かといって妄言に誑かされた結果こちらに愛想をつかされても本末転倒だとは思うのだが、そういうことは分からない男が『兄』なので仕方がない。『父』が居なければもっと早い段階で破綻していただろう。
さてどうするか。恐らく説得はできない。何より『北原 惺』には関係のない話だ。だがしかし――知ってしまった以上、このまま放置しているのも寝覚めが悪い。『瀬名 星』が、死んでも死にきれなくなってしまう。
「……しゃーない、代償払って天に頼むか」
『なんかアテあんの?』
「今更火傷の1つや2つ増えたところで別に。つーか去年もらった『目』返して、向こうからも何なり代償取って貰ってそれでトントンでいけんじゃね」
『ああ、今んとこいらなくなったのか』
「オニーチャンにちょっかいかけてるヤツは別に何とかしてくれるのいるから、俺が下手に手出ししない方がいいだろ」
『……ちょっと先生とも相談するわ、また連絡する』
「ん」
何か起きたときに、『万が一』があっては困る。現在の平穏を守る為にも、懸念は排除しておかなければならない。それに、下手に手出しをしない方がいいのはこちらとしても同じなのだ。なるべく、能動的には関わらない。下手に関わって、やっと落ち着いた均衡を崩したくない。
さてどうしたものかと考えながら、惺は電話を切って自室を出たのだった。
その翌日の夜。惺は天によって強制的に外に連れ出されていた。
「……いやお前方々のトラウマ抉るなよ最低だわまじでふざけんなよ……」
「ああでもしねーとにーちゃん借りれねーじゃん。ちゃんと返すって言ったから良くない?」
「良くない……」
大きな溜め息ひとつ。意に介さずけらけらと笑う天に反省の色はない。後で絶対に首根っこ捕まえて土下座させる、と心に決めて、惺はスマートフォンを取り出した。既に携帯には鬼のように着信が入っている。
突然ひょっこりと自宅に顔を出した天は、そのまま「ちょっとにーちゃん借りてくー、朝までには返すから安心しろ」とだけ言い放って、『テレポート』の要領で惺を外に連れ出したのだ。その場にいた『家族』には何が何だか分からない上に、かつて同じ要領で『拉致』されたことがあるので本当に良くない。後のことを考えると非常に頭が痛い。
「もしもし……、るっせえな俺は無事だから、うん、ごめん。ちゃんと帰るから待ってて欲しいんだけど……、待って俺の話聞いてる? ……あー」
「頑張れにーちゃん」
「……そらそらのせいじゃん……?」
「あきに口で何言ったって俺には筒抜けだからなあ? だから俺はにーちゃんの希望を叶えただけだけど? にーちゃんの右目、今後の為にも返してもらう訳にゃいかねーしな」
「くっそ生意気で腹立つわさすが『俺』」
分かっている。天は惺の望まないことはしない。ただ今回はその手段があまりにも強引だっただけだ。
電話の向こうの声を聞きながら、さてどこに連れてこられたのかと惺は周囲を見回した。車の音がずっと聞こえているから、交通量は多い。目の前にあるのは大きな建物。すぐに病院か、と合点する。見えない筈の右目がずきりと痛んで、誘われるままに一瞬だけ『開く』と、そこに映ったのは。
「……オニーチャン話の途中で悪いんだけど、なるべく早めに折り返すからちょっと待ってて」
呼ばれている、と思った。
見えないものが映る視界の中で、一際異質なもの。それを惺は知っている。通話を切るついで、そのままスマートフォンの電源は落としておく。よくよく考えればGPSで既に居場所は割れているかもしれないが、迎えが来るならそれはそれで構わないので考えないことにした。
「天、」
「うい。んじゃ行くな」
「頼む」
一瞬後には、視界が変わっている立て続けの久々の感覚に息を吐いて、再度周囲を確認する。薄闇の中、響いているのは規則的な機械の電子音。ベッドに寝かされている女の子は、焦点の合わない瞳を開いたまま、ただ虚空を見つめている。きょろきょろと辺りを見回して何かのコードを引っこ抜いている天を横目に、惺はベッド横にある椅子に腰を下ろした。
――瀬名 星乃という名前らしいと、空から聞いた。存在を知らなかった従妹。
「……女の子なのに顔に火傷なんかしちゃってまあ」
暴力を振るわれ育児放棄され続けた自分たちよりも、酷い目に遭ってきたのだろうと思う。かつての『瀬名 星』と同じように、感情を殺して壊して取り繕って生きてきたのだろうか。或いはお互いに存在を知っていれば、もっと違った未来もあったのだろうか。
できることなら話してみたいものではあるが、それは叶わない話だ。『瀬名 星』は、死んだのだから。
さて、と惺は再度右目を『開いた』。じゃらじゃらと星乃に絡みつく禍々しい鎖のあちこちから目が開いてこちらを見ている。目、目、無数の目。臆することなくそれを見返して、惺は笑った。
「――産まれ落ちることも出来なかった成り損ないが、偉そうに人のこと見下してんじゃねえよ」
一言。それだけで、惺の右目の力を発揮するには充分だ。鎖がざらざらと崩れていく。甲高い、或いは地を這うような悲鳴。崩れた鎖は靄となり、そのまま人の形を取っていく。3、4歳程度の小さな子供のような大きさが、惺にとっては少し懐かしい。
声にならない音が耳に届く。何かを言っているのは分かるが、言語化する程の力が出せていない――傍に天がいるからだろう。同種の力を持ちながらきっちりと存在している天と、残滓として行き場を失い取り憑きしがみついているだけの存在では、比べ物にならない。
「その子から離れて。もう諦めろ」
『――、―――』
「俺は天でいっぱいいっぱいだから引き受けてやれない。そんだけ力喪ったら、お前らもその子から生まれるのはもう無理だよ」
『―――――』
「……産まれたかったんだよな、分かるよ。でもな、お前らはやり方を間違えた。いずれ喰う為とはいえ俺を守り続けた天と、彼女を苦しめ続けたお前らとじゃ、話が違う」
『――、――、――、』
「はいそこまでー」
ぐい。天が後ろから黒い靄の首辺りを掴む。途端にざらざらと形を崩したそれは、瞬きの間に消え失せた。ふん、と鼻で笑った天が、僅かに靄の残った手を舐める。
「にーちゃん優し過ぎ。あと目使い過ぎ」
「え。……あ」
天の指摘に右目を『閉じる』と、ぐらりと身体が傾いた。力が入らない。ぽたりと鼻から零れ落ちた血に、その意味を知る。右目を使うのは負荷が大き過ぎる――分かっているから、余程のことがない限りは使わないと決めていて。けれど今回は、使わずにはどうしようもない。
深呼吸をしようにも浅い呼吸しかできずに、惺は眉を寄せる。疲労が思ったよりも強過ぎる。
「……まじ二度とオニーチャンと和音さん以外の為に使わんわこれ……」
「いやあの怖い人はさー、にーちゃんが何かしなくても大丈夫だろうけどさー」
「んー……」
「コイツからももう対価は貰ったし、帰るか」
「……何貰ったの」
「なーいしょ」
天の言葉に、惺は星乃へと視線を向ける。虚空を見つめていた光のない瞳は閉じられて、穏やかに眠っているように見えた。この先の生など考えたこともないだろうこの従妹が、どんな風に生きていくのかは分からない。そしてきっと、この先『北原 惺』の人生と交わることはない。
――穏やかな生活ができれば良い。いつかの自分が、夢さえ見れなかった優しい生活が、できるようになれば良い。
「……帰ってとりあえずオニーチャンに引っ付いて寝る……」
「いやまじ何? 何で? 俺じゃだめ?」
「だめー……オニーチャンの喋ってるの聞きながら寝るのが一番ゆっくり寝れるからしゃーないな……」
「腹立つわー」
「……天は俺が起きるまで一言も喋らず正座して反省してろ」
「待って」
「受け入れのご尽力ありがとうございました、鹿屋先生」
「いえいえ。柳川くんも色々手伝ってくれたし、うちの理事長の力でもあるので」
夏も終わりを感じ始めた頃。律は主治医である鹿屋 琴葉を訪ねていた。その数日前に星乃と空良が琴葉の働く病院に転院したこともあり、その様子を伺う為である。
琴葉が働いている病院は一般診療も行っているが、『此方』や『彼方』の治療を行うことにも特化している。働いている医師のうち数名は『ヒーラー』だ。また、職員は全員『此方』や『彼方』に関しての知識を持っている者で構成されている。
「どうですか、星乃ちゃん」
「まあ、変わらずと言えば変わらず。記憶の欠損が戻る気配は今のところゼロ、身体もやはり自力で今以上動かすのは難しいでしょう。時間に空きがあれば1分でも辺見さんが面会に来られてて、そのときはちょっと鬱陶しそうにしてますけど、一人でいるときよりは落ち着かれてる感じがします。不安なんだろうな、という印象は常にありますね」
「ま、そりゃそうですよね……」
目覚めた星乃は、多くの記憶を喪っていた。
自身のことは分かる。家族のことは何一つ覚えていない。大樹のことは分かるが、出会った経緯や二人の間に何があったのかは細かく思い出せない。『此方』や『彼方』のことは、全く分からない。
恐らくその記憶の欠損は、『忌み子』が彼女を縛りつけていたものを潰した代償だろう、ということは想像がつく。故に戻ることのない記憶。会わせていないが、空良を見ても彼女はそれが『双子の弟』だとは認識できないはずだ。恐らくは、この先も。それがいいことか悪いことかは分からない――忘れた方がいいこともあっただろうが、彼女にとっては忘れたくないことも全て忘れてしまっているだろうから。
「空良くんの方は……」
「そちらはそちらで難しいですね。理事長は僕が面倒みるんだって張り切ってましたが。あの子本当に星乃ちゃんと双子で18歳ですか? どう見ても3、4歳ですよ」
「……前の病院でそれが違和感なく受け入れられてたのが一番怖かったですよ俺は……」
星乃が話せる程度に回復する代償は、恐らく空良から奪われている。そう仮定してすぐに桜に調べてもらったところ、その予想は当たりだった。18歳だったはずの少年は、その精神年齢に合わせるように子供の姿になっていた。そして空良のいた病院では、それが当たり前のことのように受け入れられていた上に、小児科に入院していることになっていた。まるで、最初からそうだったかのように。
何がどうなったのかは分からない。けれど1つだけ確かなことがある。
――星乃と空良は、『双子』ではなくなった。そうすることで、彼らに纏わる『呪い』は恐らく解かれたとみていいだろう。
それは『カミ』の気まぐれか、それとも。
「まあ落ち着いたら空良くんは里親を探して、という形になるでしょうね。戸籍関係の問題はありますけど。どうなってるんでしょう……」
「その辺はまあアフターフォローとしてうちで何とかします」
「さすが。じゃあ一応これで茅嶋さんの依頼は完遂ということで?」
「んー、まあ俺は何もできてないんですけどね。ただ出てきた情報拾っていっただけなんで……。大樹くんの運が良かったんじゃないかなと思います、何となく」
たまたま、頼った朱緋が情報を持っていた。たまたま、恭が昔出会っていた。そういう『偶然』の縁を持っていたのは大樹だろう。律に調査を託すことでその縁を繋いで、今日の結果に繋がった。
「ま、しっかり報酬はもらいました」
「あはは。まあ動いてるんですから、それは当然ですね。後はお任せください」
「はい、お願いします」
「またすぐ次の仕事ですか?」
「さすがに海外仕事が無視できなくなってきたんで、そろそろ行かないとってとこですかね……」
「あらら、お気をつけて。何かあったら連絡してくださいね。茅嶋さんは酷いことになってからうちに来るのやめてもらって……」
「すいません……」
――願わくば、彼らのこの先が平穏でありますよう。