Mirrored Crossroad - 05

 徒歩数分のところにあった空の自宅だというマンションの部屋には、表札が出ていなかった。恐らく故意だろう、と思いながらも勧められるままリビングに腰を下ろす。お茶を、という空の申し出は固辞した。時世柄、その辺りの対応は難しい。

「先に言っておきます。俺たちは貴方たち兄弟をどうこうしようと思って君を訪ねた訳じゃないので、そこはご安心ください」
「ああ、よかったです。それで、瀬名の話が聞きたいというのは……」
「実は俺たち、貴方がたの従弟妹のことで動いてまして」
「いとこ?」

 全くの初耳なのだろう、空の眉間に皴が寄る。やはり、瀬名 陽と瀬名 沙霧の間に交流はないと見ていい。交流どころか、お互いの存在を知っていたかどうかも怪しいところだ。本人たちに確認するすべは喪われているので、本当のところは分からないが。
 どう話すか少し悩んだものの、あまり隠しても欲しい情報は手に入らない。星乃が父と弟から暴行を受けていたこと、弟に暴行の記憶はないこと、妊娠したこと、自殺未遂を起こしたこと。それを、空は口を挟むことなく黙って聞いていた。

「……よく似た名前のいとこがいて、男女の差があれどうちと似たようなことになってるってのは、嫌な因果ですね」

 話し終わって、ややあった沈黙の後。ぽつりと呟いた空の声は自嘲に満ちていた。自分の身に起きていたことを思い返していたのだろう。

「何がどうしてこうなった、っていうのは、俺たちにもよく分からないんです。何となく感覚的に理解できてるだけで、誰かに説明を受けたものじゃないから。双子は忌み子だから片方は殺さなきゃ、って、俺たちが直接聞いて知ってるのはそれだけです」
「構いません。……もう、他に話が聞ける人がいないので」
「ですよね。うーん……まあ結論から言えば、さっき会ったアイツ、あれが多分、その子が妊娠した子供と同一って考えていいと思います」

 姿かたちのよく似た、ヒトに溶け込んで生きる『カミ』。
 相対した感触として、あまり敵対したくないという印象はあったな、と律は思う。『底』が見えないタイプの『カミ』だった。対処できないことはないだろうが、かといってしなくてもいいのなら進んでしたくはない。取り込んだものをそのまま力にするならともかく、変化させて自分の力を底上げするタイプに見える。

「あの子、俺にはフツーの男の子に見えたっすけど」
「そう見えるように、兄が『縛った』んですよ。自分の弟として瀬名 天という名前を与えて、後は俺たちが世話になってる『カミ』の力を借りて、そして兄は死ぬ形で、俺は結婚の形で『瀬名』の名から離れることで、ぎりぎり」
「……瀬名 星の死は偽装ですよね」
「いいえ、兄は死にました。兄によく似た人と仲良くはさせてもらってますが、うちの兄は死んだ」

 首を振って、はっきりとした口調で空は言う。偽装と認める訳にはいかないのだ、ということはすぐに分かった。彼はそれを言葉にできない。してしまうと、今までの努力を無駄にしてしまう。そういうことなのだろう。
 何か言おうとした恭を押しとどめて、分かりました、と律は頷く。事態を蒸し返してはいけない。彼らの努力を、自分たちが来訪したせいで無駄にする訳にはいかない。

「天はずっと俺の中に眠ってたんです。たまに表層に上がってきてたみたいなんですけど、その記憶は俺にはなくて。その弟が姉への暴行の記憶がないのと一緒じゃないかと思います」
「それがどうしてあんな風に出てくることになったんですか?」
「きっかけは父の死と、それをきっかけに兄が家を出たことだと、俺は思ってます。元々天は俺たちが18になったら俺を使って兄を喰らって、成り代わる――そういうやり方で表に出てくる筈だった。あ、18っていうのは何となくなんで詳しく聞かれてもちょっと答えられないんですけど。兄は何となくずっと18になる前に死ぬって思ってたって話を聞いたことがあるんで、恐らくはそういうことなんだと思います」
「18……」
「その子も今18ですよね。つまり18には子供として自分を産ませる、そちらはそういうことだったんじゃないかと。推測ですけど」
「……でも結構前から暴行されてたんすよね? 星乃ちゃん……」
「分からなくもないですよ。受け入れさせるための下準備だと考えれば。或いは確実に支配下に置く為に。彼らは確実に『産まれたい』訳ですから」

 ――幾度も幾度も、殺されてきたのだから。
 結局のところ、星乃は自殺という手段を以てそれを封じた。助けられて生き延びた今でも、あの体では二度と子供を産むことはできないだろう。では潰えたそれは、どこに向かうのか。

「……ああ、そうか」
「律さん?」
「同じように引き剥がすことができれば或いは、星乃ちゃんにも可能性があるかもしれない……?」

 それが、あの鎖となって纏わりついていると考えれば。彼女の身体に降りかかったままの残滓。恐らくは彼女を救命した結果、一緒になって取り憑いたまま剥がれていないのだ。

「可能性としてはあると思います。ただ、天の場合は本当に奇跡だった。破壊衝動しか持たない、自分を殺し続けた世の中を怨み抜いている悪鬼羅刹が、あんな風にヒトの真似事をして存在出来ることは通常有り得ない。実際何人も死にかけた結果でもあるので、同じことができるとは思えません」

 空の指摘はもっともだ。実際、どうすれば星乃にあれだけ纏わりついた鎖を解けるのかなどさっぱり分からない。血縁でもなければ関係のない律には解決手段はないに等しい――代わりに鎖を引き受けることなど当然できない。解決策を探しに来たわけではないのだ、と律は緩く首を振る。
 助けたくても叶わない。理不尽で、そういうものだ。呑み込まなければならないこと。

「……俺たちも少しでも道を間違えてたらそうなってたんだと、改めて思いました」
「柚葉さん……」
「やっぱり、俺たちの代で瀬名の血筋は終わりにしておかないと駄目ですね。……代々酷い目に遭うなんて、もうたくさんだ」

 そう言って――力なく、空は笑った。


「――以上が依頼に関する報告。その他、何か聞きたいことはある?」
「御当主様の相棒の強運僕にも欲しい。やっくん何者? ほんとに人間?」
「人の相棒を何だと思ってるんだ。あれは日頃の行いの結果だから」
「僕だって日頃の行い別に悪くないよ!?」

 数日後、『エンブレイス』の社長室にて。
 個人のプライバシーがあるから、という理由をつけて固有名詞は避けたものの、分かったことは全て大樹に報告した。細かいところは報告書を、という申し出は首を横に振られた。他の書類と混ざって分からなくなると困るから、というのが理由だ。今日も机の上に乱雑に積み重なっている書類を見ると、それに関しては何も言えない。

「双子の忌まれた理由って、結局何だったんだろうねえ。大昔の人が考えることは本当に僕には分からないね」
「日本でも海外でも例のあることだし、諸説あるし。……結局、彼女は自分で終わりにする為に、弟の中に生まれていたものを全部引き受けて道連れにして死ぬつもりだった、っていうのが結論。それ以上もそれ以下もない」
「弟が生きてる限り、終わるとは限らないのに?」
「まだ10代の女の子だよ。弟だけは生きてて欲しいって気持ちが捨てられなくても何も不思議じゃない。人間は合理的じゃないから」
「そっかあ……」

 何より、何もかもなかったことにするようなことができる程、ヒトというものは強くない――と律は思う。ヒトも『彼岸』も行き着く先は同じ。ただ、『忘れられる』ことは怖いから。繋がりを求めるから細い糸が残って、根本的な解決が難しい。
 だからこそ、バランサーとしての存在は必要で――そうやって、律のような商売は成り立っているとも言える。

「そうそう、恭くんがちゃんと転院の話進めてくれてるから、近々条件が整えば弟の方共々動かせると思う。そしたらもうちょっと面会とか融通利くようになると思うよ」
「何から何までありがとう御当主様……、そうそう面会といえば昨日の夜急に見守りカメラ映らなくなっちゃって。電源コード抜けちゃったのかな、今日見に行かなきゃ」
「……それほんと訴えられないように気をつけてね……」
「許可! 取ってる!」

 ほんとかな、と笑っていると、律のポケットに入れているスマートフォンが音を立てる。ちょっとごめん、と断ってから取り出すと、ディスプレイには『月ヶ瀬 朱緋』の文字。通話をタップする向こう側で大樹の携帯も鳴っているのを聞きながら、律はスマートフォンを耳に当てた。

「もしもし? 茅嶋です」
『月ヶ瀬です。茅嶋さん今お時間大丈夫ですか?』
「はい。どうかされました?」
『茅嶋さん、まだ瀬名の双子のこと調べてます? それやったらお耳に入れておきたいことが、』
「ああ、はい。何でしょう?」
「――え!?」

 場を切り裂いたのは、大樹の大声。思わず視線を向けると、ぽかんと口を開けた大樹と目が合って。

「星乃さんが喋れるようになった……?」


 電話を受けた大樹は「ここ使ってていいから!」と叫ぶように言い残して、鞄と車のキーを引っ掴んで出ていった。病院に向かったのだろうということは容易に想像がつく。いていいと言われても、と思いつつ、簡易的に音声遮断の魔術は構築しておく。朱緋も心得た上で電話を掛けているのだろうが、電話は情報が漏れやすい。

『……ちらっと聞こえちゃったんですけど、瀬名 星乃の容態が好転したんですか?』
「ぽい、ですね? 俺が見たときは好転しそうな状況ではなかったんですが」
『ああ……じゃあ、関係あると思います。茅嶋さん、そちら戻られてすぐ『忌み子』に会われましたよね』
「はい」
『昨夜、どうも兄の方と接触したようで』
「……あー……」

 空が話したのだろう、ということは容易に想像がついた。話を聞いた彼が動いた結果が、恐らく今の星乃が話せるようになった、という事実なのであろうことも。
 何がどうなったのかは分からない。北原 惺が何を考えてその行動を起こしたのかも、接触しない限り知るすべはない。かつての自分と重ねたか、聞いて放っておけなくなったのか。どちらにしろあれをどうこうできるとしたら彼だけだ、というのは何となく理解できる。『忌み子』を切り離して、支配下に置く青年。一度やってのけているのだから、やり方を心得ている。何より『関係者』だというのは、やはり大きい。

「……今の彼の状況って」
『流石に昨日の今日でそこまでは。というか大学が夏休みなのもあって接触機会がほぼなくて。ちょっとかかると思います』
「いえ、なら大丈夫ですよ、ありがとうございます。……こちらも接触しない方が良いというのは変わりませんよね」
『そう、ですね。彼自身ではなく今の彼の身内がちょっと色々ありまして……、正直茅嶋さんの名前も知っていると思うのであまり触れてほしくないといいますか……身内もひっくるめて定点観察対象といいますか……』
「……ややこしそうですね?」
『ややこしいんです……、すいません』

 朱緋の仕事の邪魔をするのは、律の本意ではない。月ヶ瀬の仕事内容は特殊で、律があまり触れない部分を担っていることを重々承知しているからだ。
 もう一度礼を言って、律は電話を切る。星乃が話せるようになったのであれば、直接星乃から得られる話もあるかもしれないが、突然様々なことを聞き出すのは無理があるだろう。話せるようになったというのは、彼女の状態では意識が戻ったと同義に近い。長時間の面会ができないことを加味しても、テンションの上がった大樹があれやこれやと聞き出して負荷を掛ける方が心配であることを考えれば、律も病院には向かっておくべきだろう。
 そしてこの場合、気にするべきは。通話を切ったその指で電話番号を呼び出して。

「桜? 手が空いてたら確認してほしいことがあるんだけど――」