Mirrored Crossroad - 02

「やっくん久しぶり! 相変わらず顔が良いね! うちの事務所入らない?」
「久しぶりっすタイさんー。毎回言うんだけど入んないからスカウトしないで?」
「……ねえ何で大樹くんは紙の上でもうるさいの?」
「えっそれでもだいぶ省いたよ!?」
「契約書と仕様書作るのは上手いのに報告書になると途端これなのほんと謎」

 翌日、律と恭は大樹と合流していた。目的地に向かうため、恭の運転で大樹を迎えに来た形である。
 車内で大樹に渡された報告書は、一瞬紙が黒いのかと思う程の文字量のものが数枚。他愛のない話をしている恭と大樹を意識の外に置いて、律はそちらに集中する。余計な話は読み飛ばして、ざっと必要なことだけ。おおよそ事前情報として把握していることも多いが、改めて齟齬がないかの確認ができる。知ることと、知っていることで勘違いがないかの確認は、時として命に関わってくるからだ。
 
「……大樹くんひとつ確認なんだけど、」
「ん? 何?」
「彼女の子供、本当に大樹くんの子供じゃなかったの?」
「うーん、恐らく残念ながらその件に関しては間違いないんだよね。僕が彼女と関係を持ったのは1回だけだからね。ええと日にちが」
「いやそんな細かい話はいいんだけど」
「彼女の子供は僕と関係を持ったよりもちょっと前になる。彼女は多分、何となくそれに気付いてて事を急いたんだと思うから」
「そう」
「……律さん俺その話聞いてない……?」
「ああ、うん。ちょっと桜もいたから、言い辛くて」

 元々律としては、あまり桜に話したいことでもない、というのが一番大きな理由だ。言葉を選んだ末に言えなかったことも多い。
 
「……妊娠してたんだって、彼女。自殺未遂を起こしたのは臨月、もうすぐ産まれるってなった頃」
「うんうん。星乃さんはその為に生きてきたんだって笑ってたからね」
「いや、え? タイさんの子供じゃないってことは、ええと、もしかして弟さん」
「そういうことになるね!」
「ええ……」
「その子を宿して、その子と一緒に死ぬことが自分が今まで生きてきた意味なんだって。見たことない綺麗な顔で笑ってそんなこと言うものだから、びっくりしちゃって一瞬反応が遅れたんだよ。そのせいで彼女をみすみす死なせるところだったんだ。まあ死なせやしないけどね! 折角結婚もしたしね!」
「担保に書いてもらってた婚姻届勝手に出したんでしょうが」
「病院が家族じゃないと云々うるさいから仕方ないよね?」
「話してるとき律さんやったら歯切れ悪いなと思ったけど……なるほど……でも調べたら分かるんじゃ」
「そうなんだけどさー……」

 柳川家ではまだ子供が産まれたばかりだ。憂凛が妊娠したときからあれだこれだと桜が世話を焼いていたことを、律はよく知っている。憂生と名付けられたその子をとても可愛がっていて――きっといずれは、なんてことも考えてはいるだろうから。ただでさえショッキングな話題を続けて話すことになるからこそ、昨日は上手く言葉にはできなかった。
 律が何か誤魔化したことには気付いているかもしれないが。だからと言って、このことを二人の間で話題にすることはないだろう。

「ところで御当主様、本当に彼女に会うの? 本当に何も喋れないよ? 大丈夫?」
「分かってるよ。俺がしたいのは現状確認と――まあ、一度ちゃんと『視て』おきたいなって、それだけ」


 大樹の道案内で辿り着いた先は、大きな総合病院だった。
 
「ふつーの病院なんすね?」
「うんうん、彼女の自殺は胎児ごとお腹を突き刺すっていう……思い出したくないな……もう本当完全に切腹だったからね……」
「うぐ」
「その場に『ヒーラー』もいたから処置は色々試したんだけどね、どうにもならなかったんだよね」

 傷を癒す力を持つ『ヒーラー』は、決して万能な訳ではない。
 強い意思や呪詛、怨念の籠った傷を取りきるのは非常に難度が高く、事実10年近く前に貫かれた律の右手は、『ヒーラー』の力では治療しきれなかった。『カミ』の力を借りて動くようになった今も、その右手には大きな傷痕が残っている。そして何より、『此方』や『彼方』、『彼岸』の能力で傷つけられた傷を癒すことには特化しているが、通常の傷や病気は癒せない。それが例え擦り傷であろうとも――だ。
 
「御当主様的にはどう? 転院させた方がいいと思う?」
「見てみないと分からないけど、どちらにしたって体の傷が癒えて症状固定されてからじゃないかな」
「つーか今更なんすけど、このご時世に面会できるんすか? 病院」
「個室利用の条件付き許可だね! 入院してるから星乃さんに会えないとか僕が死んじゃうから勘弁してほしいしね! まあいつでも見れるように見守りカメラ導入させてもらったんだけど」
「……さすがストーカー……」
「失礼だな! 結婚してるからもうストーカーじゃないよ!」
「もうって言ったな今? 一人だけ付き添いって形で短時間面会可能なんだって。ということで恭くんは大樹くんの見張り……、話し相手よろしくね」
「今見張りって言った!?」
「はーい」

 わあわあとよく喋る大樹の相手は恭にさせておくに限る。
 面会の受付を済ませて病室に入れば、そこは静かなものだった。機械の動作音だけが部屋の中に響いている。それなりの広さの個室の中のベッドの上で、一人の少女が横たわっていた。
 
「……初めまして。星乃ちゃん、でいいのかな」

 声を掛けつつ、ベッドの横に置かれている椅子に腰掛ける。少女――星乃の瞳は開いているが、芒としていて光はない。顔の右半分は包帯に覆われていて、隙間から火傷の痕が見えた。
 彼女のことで大樹から助けて欲しいと請われたとき、自身ではなく澪生を関わらせることを選んだ。ちょうど大きな仕事を抱えていて、どうしてもその仕事をしながら他の仕事ができるほどの余裕が律になかったからだ。
 最初から関わっていれば何か変わっただろうか、と考えるのは傲慢が過ぎる。恐らく何も変わらなかった。最悪の事態をいくら考えたところで、彼女が胸の内にずっと秘めていた『子供ごと自殺する』という選択肢を見抜けたかどうかは分からない。
 そうしなければならなかった理由を知っているのは、今のところ彼女だけだ。
 
「……巧都」
「お」
「『眼』だけ貸して」
「晩飯はカレーがいいな」
「桜に言っとくよ」

 すっと律の背後に現れたのは、律が力を借りている『カミ』。真名を隠し幸峰 巧都と名乗っている、魔術師の魂の集合体のようなそれの力は、非常に強い代わりに律に大きな負担を強いる。
 目を閉じる。笑った巧都がぽん、と律の肩を叩いて。
 
「――持ってかれんなよ」
「え、」

 律が目を開いたときには、既に巧都の姿はない。代わりに律の瞳が青く染まる。その目はしっかりと星乃の姿を捉えて。

「……冗談きつくない?」


「ただいまー……」
「あっおかえりなさい御当主様」
「おかえりっすー」
「……何でトランプしてるの」
「僕が持ってたからだね! 勝てないんだけど!」
「聞いて律さん、タイさんババ抜きめっちゃ弱い」
「恭くんより弱いって相当だな」

 運転席と助手席の間に散乱したトランプのカードに肩を竦めつつ、律は運転席の後ろに乗り込んだ。溜め息ひとつ、さてどう説明しようかと考えている間にトランプが片付けられていく。数分『眼』を借りただけで鈍い頭痛がして考えがまとまらない。――或いは、見たものを信じたくないせいか。
 ひょこ、と前の座席から覗く4つの瞳は、律の見解を待っている。

「とりあえず転院の準備は進めよう。あれはやばい」
「ん、じゃあ琴葉センセか理事長センセにアポ取っとくっす」
「うん、お願い。……ねえ、10代の女の子が一人で背負う量じゃないもの背負ってたんだけど、大樹くん本当にその辺のこと何も知らないの?」
「僕が御当主様に嘘吐いて得するならそうするけど、何の得にもならない嘘は吐かないな」

 伊達に世界中飛び回って仕事をしている訳ではないし、酷いものは大概見てきたと律は思っている。ただでさえ知り合いにも正視に耐えない状況に陥ってきた者はいるし、大概の最悪の事態は経験してきた。
 ――それでも、彼女に絡まっている『彼岸』の因果は異様で、異常で、あまりにも多く、重く、いっそどうやって正気で生きてきたのかと思うレベルのものだ。

「元々彼女って『彼岸』が縁りやすいって話だったよね」
「うんうん。僕が知る限り、星乃さんは『魔女』役だったなって感じだけれどね。童話の『カミ』が縁ってて。お菓子の家に人魚姫、茨姫に白雪姫、森の家、花嫁かな。失礼だよね! 僕のお姫様なのにね!」
「うん。つまり彼女に絡んでるのは魔女裁判」
「彼女『サイキッカー』だよ?」
「『彼方』の『魔女』の話じゃなくて。俺みたいな『ウィザード』的な話でも『エクソシスト』的な話でもなくて。迫害される者という意味で、彼女が思い描いたものが魔女裁判だったんじゃないかなって」

 故に、魔女に関わるものを引き寄せた。縁り合い集まったそれは、彼女の存在を『彼岸』にとっての魔女として固定した――排除すべきものとして。律の推測に過ぎないが、引き寄せ戦うことは彼女が己に課した『裁判』であり、打ち倒すことはそのまま生きることを許されるということだったのではないだろうかと思う。
 魔女裁判の根源は差別、迫害、不都合な事実の押し付け、そして理解できないものへの畏怖。では何故、彼女は己を魔女としたのか。
 
「……父親と弟からの暴行の原因がなー。両親調べるか……」
「血筋の何かってことっすか?」
「いやもうほんと良くあるからね、末代まで祟られるの。年齢を考えても彼女自身の責任とは思えないし。大樹くん親のことはほとんど調べてないし」
「だって星乃さんのことじゃあないからね。彼女のご両親の来歴とかまでは興味ないよね? 死人に興味もないから当然の帰結では?」
「調査能力高かったのに若干考え方ずれてるとこほんと大樹くんって感じだよ……」