Mirrored Crossroad - 01

 こんこん。
 軽いノックの音に、部屋の中からの返事はない。扉を開くと、ソファの上にひっくり返って眠っている男が一人。苦笑して、来客である茅嶋 律はぱちんとその額を叩いた。

「わぷっ!?」
「人を呼び出しておいて自分は爆睡とはいい御身分ですねえ、社長さん」
「ひえっ御当主様!? あれもうそんな時間!? ぎゃあごめんなさい!?」
「おはよう。いいよ、疲れてるでしょ」
「これでも大分ひーくんが社長としての仕事量は減らしてくれたからね、結構大丈夫だったりするよ! 彼女といる時間が増えて僕は大変元気になりました!」
「……あ、そう」

 飛び起きて慌てて身なりを整える男――芸能事務所『エンブレイス』の社長である辺見 大樹の様子に肩を竦めて、律は正面のソファに腰を下ろした。彼の様子は時折耳に入ってはいるが、こうして会うのは久しぶりだ。随分とやつれたような印象を受けたが、口には出さない。そんなことはないと笑いながら言うだろうことは目に見えている。
 これでも最初の頃より随分落ち着いたのだ、とは『エンブレイス』所属アイドルであり、律の弟子である菱川 澪生からの話だ。ただでさえ多忙を極めている時期に起きたことで、彼も随分疲れ切っていた。事務所の人手不足を随分と訴えられたが、すっかり内部が特殊な芸能事務所と化している『エンブレイス』に回せる人手は、早々見つからない。
 
「暑くなってきたからね。体調には気を付けて」
「御当主様こそ。夏は死んでるってみーちゃんに聞いたよ」
「夏っていうか暑いのが苦手だからね、俺は……。まあそうも言ってられないでしょ、夏は仕事多いから」

 夏は生者と死者が結びつく季節。海外ではそれがハロウィンに当たるため季節が合わないが、日本での繁忙期は夏になる。盆の季節、夏、夏と言えば怪談話。それはある意味昔から続く日本の『伝統』だ。

「で? 大樹くんがわざわざ俺を呼び出してまで頼みたいお仕事は?」
「まあ彼女絡みの話なんだけれど」
「だろうね」
「報酬に糸目はつけないよ、僕に出来ることなら何でもする。その覚悟はある――だから敢えて、御当主様に頼みたい。かつて彼女の家系に何が起きて、どうして彼女があんな目に遭わなければならなかったのか」

 大樹の瞳は真っ直ぐに律を見ている。そこに宿る静かな狂気に、律はゆっくりと瞬いた。気を抜けば飲み込まれそうなそこにある覚悟を、充分に知っている。
 
「知らない方が幸せなこともあるんじゃない?」
「彼女のことで知らないことがある方が僕は嫌だ」
「そもそも大樹くん、自分で結構調べたんじゃないの?」
「僕程度では調べ切れなかったことが山のようにあるし、今の僕にはもうイフが居ないし、調べる力も戦う力も手放して今があるんだよ、御当主様。金に物を言わせても遣う相手を間違えれば欲しい情報は手に入らない。選ぶなら最も確実な方法だ」
「俺を頼ることが確実かどうかはちょっと断言できないなー。知っても何も変わらないよ」
「また何か『次』がある可能性が否定できないのに、このまま手をこまねいている訳にはいかないと思うんだよね?」
「……まだ何かあるなら原因を潰すところまで依頼したいと、そういうことで?」
「うん」
「……ひと夏潰れそうな依頼だなあ……対価吹っ掛けるよ」
「構わない」

 深い溜息ひとつ、頭の中で算段を組み立てる。他にも入っている仕事はある、何を割り振って何を自分でするかを考えるのは帰ってからになるだろう。そしてこの仕事自体、誰かに手伝ってもらわないと完遂出来ないことは目に見えている。
 目の前の男に、引き受けないとは言えない。次に何をするか分からない。――そもそも、どんな依頼であれ引き受けるつもりでここまで来ている。
 
「分かった。……まずは一度、彼女に会わせてくれる?」


「――ということで、大樹くんの依頼を受けることになりました」
「はーい」
「はい」

 元気に手を挙げる柳川 恭と、神妙な面持ちで頷く茅嶋 桜。対照的な二人の反応は、普段の仕事と変わらない。
 
「ごめんね桜、スケジュールの調整に手間掛けさせて大変だと思うんだけど……」
「いえっ、大丈夫です。憂生ちゃんのこともありますから、元々遠方の仕事はほとんど割り振る予定で進めていますので」
「俺のことより二人は新婚さんなのにいいんすか、結婚式する気配もないしさー」
「そのうちする予定ではいるけどそもそも真夏に結婚式はちょっとな……?」
「私と律様は籍入れただけで何も変わりませんので……?」
「俺らが新婚の時はやいのやいの言ったくせに自分達のことはこれだよこの二人は……」

 呆れ切った溜め息を吐く恭に苦笑しつつも、律は今現在分かっている情報を二人に話す。大樹が知っている情報に関しては話していると日が暮れるどころではない上に脱線することが目に見えているので、書面にまとめてもらうということで話はついている。
 彼女――戸籍上、大樹の妻である女性。
 辺見 星乃。或いは瀬名 星乃、または漆原 星乃。
 漆原家の長女として生まれ、双子の弟、空良がいる。姉弟共に『サイキッカー』の力を持っており、隣県の高校に通っていた。現在は二人とも、事情により退学している。
 
「……正直あまり気分のいい話ではないんだけど、中2まで彼女は父親から暴行を受けてたみたいでね」
「それは虐待……ということですか……?」
「うん。まあ、女の子で、まあ……そういう、ね。発覚した結果、母親が父親を殺して自宅に火を点けて無理心中。双子は何とか逃げ出して一命を取り留めたけど、姉の背中には大きな火傷の痕が残った」
「うわ……」
「――ということになっている」
「へ」

 律の言葉に、二人が同時に首を傾げた。この件に関しては元々、澪生から何度か相談を受けていたこともあって、律はそれなりに概要は把握している。ざっと調べたところ、一般的にはそういうことになっていて、当時は無理心中で、双子の姉弟だけが助かったという報道をされていた記録が残っていた。この情報に、以前澪生から聞いた話を総合すると、違う側面が見えてくる。
 
「双子の姉弟が『サイキッカー』の力を持っているのなら、両親どちらかは『サイキッカー』だった可能性が高い。母親が『サイキッカー』で、暴行を目撃したショックで『サイコジャッカー』に引き摺られて夫を殺し、その後娘を殺そうとしたところで弟が姉を助けたとすれば?」
「……なんもわからん」
「ええと……『パイロキネシス』が失火の原因で、そもそも姉の背中の火傷は母によるもの……ということですか……?」
「うん。可能性のひとつとしてね。或いはこの一連の騒動を見ていた弟が、『サイコジャッカー』に引き摺られていたら」
「……姉を殺そうとする母を殺して、火事を起こすことで隠蔽したという可能性ですね」
「そういうこと」
「……どちらにしても、嫌な、話です」

 ぎゅう、と胸元で手を握りしめて俯く桜の頭を撫でながら、律は息を吐く。桜の生い立ちを考えれば、あまりしたい話ではない。だがしかし、仕事として受けた以上はいずれ桜の耳にも入ることだ。慮って遠ざけるよりも、最初に話しておいた方がいい。
 ――それに、これはまだ話の入り口だ。
 
「紆余曲折の後、天涯孤独になった二人は支援団体とかの力を借りて二人暮らしを始めるんだけど、そこでまた問題が起きた」
「……もうそれ嫌な予感しかしないんすけど……」
「残念ながら嫌な話しかないよ。――今度は弟による姉への暴行が始まった」
「何で弟さんが……?」

 唖然とする桜に、さてどう説明したものかと律は考える。弟が姉を守ろうとした、という話の流れの次に、弟が暴行を働くというのは想像し難い話だ。しかし律が話を聞く限り、問題点はここにある。
 大樹はもともと『魔人』であり、星乃に出会って以降――行為の是非は置いておくとして――『使い魔』の力を用いることで、彼女の一挙一動をほぼ全て把握していた。だが唯一、彼女の自宅での様子は『何か』に阻まれてしまい、窺い知ることができなかったという。
 
「……大樹くんは最初、自宅に『三人』いることを疑ったらしいんだけどね」
「姉弟ともうひとりってことっすか?」
「うん。見る限り姉弟の関係は非常に良好で、とてもじゃないけどそんな暴行が介在する関係には思えなかったから、第三者がいるとしか思えなかったんだって。彼女が暴行されている形跡があったのは確かで、その原因が弟だったっていうのが発覚したときにはもう既に遅かった。っていうのが大樹くんの話」
「遅かった?」
「うん。……弟には姉を暴行した記憶は一切ないらしくて。時々断続的に記憶が飛ぶことはあったけど、子供の頃からだから気にしてなかったっていう話は聞けたみたいだけど」
「覚えてない、じゃなくて記憶がない、なんですか?」
「ん? じゃああれっすか? にじゅーじんかく? みたいな?」
「そうだね。十中八九、『彼岸』の存在が弟の『中』に居たと俺は見てる」

 この辺りの確証は得られていない。全てを知る前に、知る者から話を聞くことはできなくなってしまっている。故に、大樹は律に依頼することを決めたのだ。本来ならば己で全て調べたかっただろうが、今の彼は『魔人』の力を失っている。それに、それよりも時間を割きたいことがあることを、律は知っていた。
 自分が同じ立場だったらどうするか。そんなことは、考えたくもない。
 
「……あの、律様。辺見さんが調査を『依頼』されたということは、御本人達からお話が伺えない状態である、ということでしょうか」
「うん。……いろいろあって、現在姉は自殺未遂を起こした結果、辛うじて生きてはいるけれど意識レベルが非常に低い。それも大樹くんが自分の力を代償に『引き戻した』という形だから、実際は一度死んだとみていい。生きてはいるけれど会話ができるような状態じゃないし、回復の見込みはほぼ絶望的だって聞いてる」
「……弟さんの方は?」
「姉の自殺未遂を目の前で見たこと、自分の意識がない間に姉に暴行を働いてたこと。ショックが強過ぎて、記憶喪失と幼児退行を起こしてる。こちらはいずれ回復するかもしれないけれど、いつになるか分からないし……回復したとして、何かを知ってるかどうかも、正直分からない」
「……」

 しん、と場に満ちる静寂。
 どうして姉弟はそうなってしまったのか――或いはそうならざるを得なかったのか。大樹でなくとも疑問に思う。知ったところでどうにもならないことであることは百も承知で、それでも知らなければ気持ちのやり場がないのだ。
 ひとつ、溜め息。ぱん、と手を叩けば、知らず俯いていた恭と桜がはっとして顔を上げる。二人に向けて努めて笑顔を作って、律は宣言した。
 
「――と、いうことで。まずは弟の『中』に何が居たのか、そこを調べるところから始めます。忙しくなるけど、二人ともよろしくね」
「りょーかい!」
「はいっ」