Silent Lost - 閑話

3Bの話

 それは、依頼主に話を聞きに出た朝、移動中の車内での与太話。

「そういえば律さん、付き合っちゃいけない3Bって……ええと」
「……え、急に何? 美容師バーテンダーバンドマン?」
「そうそう、それ」

 急な恭の話題に、律はゼリー飲料をくわえたまま眉を寄せる。何をどうしてそんな話題を振られたのか。どこかで話題になっていて、それを恭が見かけたのだろうか。どうにもこのところ仕事を詰めていて、世間の話題の流行を追うほどの余裕がない。

「何でなんすか?」
「……それ俺に聞く……?」
「ほら、だって律さんバーテンやってたじゃないすか」
「まあ四年ほどやってたはやってたけども」

 20代前半にやっていたバイトのことを思い出す。律がバイト先にバーを選んだのは、情報収集の側面が大きい。居酒屋ではなくバーのバーテンダーであれば客と話すことも多く、そしてアルコールが入れば人の口は軽くなる。様々な職種の人間が集まる場所だったお陰で築けた人脈もあるので、良い選択だったと思っているバイトだ。

「……まああれだよね、全部女の子が関わってくるから。美容師とバーテンは客商売で女の子と話すこと多いし、営業トーク慣れてる人間多いし……。バンドマンはファンの女の子たちにちやほやされるから、そういうとこなんじゃない。女の子にちやほやされて嫌な男はなかなかいないでしょ」
「あー、自分の彼氏が他の女の子たちと仲良く喋ってるのが嫌って話かあ」
「そうそう。恭くんだって憂凛ちゃんが他の男と喋ってるとちょっともやっとしない?」
「え、しない。俺の奥さんはいつでも俺のこと大好きでいてくれるから大丈夫」
「コイツ自信満々過ぎて腹立つな」

 実際その通りなので何も言えない。
 少しずつ飲んでいたゼリー飲料は底を尽いて、念のため蓋を締め直してから手の中でくしゃりと握り潰す。ゴミ箱代わりのビニール袋に放り込んで、視線は窓の外へ。依頼主との待ち合わせ場所まで、まだもう少し時間はかかりそうだ。少しくらいは仮眠が取れるかもしれない、とぼんやり考えはしたが、恭の話は続きそうなので一旦諦めておく。

「じゃあ律さんは桜っちが他の男と仲良く喋ってたら嫌なんすか?」
「ん? んー……相手による……」
「嫌なときあるんだ」
「何ていうか、あれ。桜は男慣れしてないから。でもどっちかというと桜は鯨津さんとかYouくんとかに目輝かせてるときのがもやもやする」
「あー、めっちゃファンだもんなあ桜っち。律さんガン無視されてる」
「それ」
「しかし律さんの場合まあそれはそれで可愛いからいいかと思っている」
「何で知ってる」
「やっぱり」

 にしし、と笑う恭に肩を竦める。――律としては、桜が好きなものを好きでいることはいいことだと思っているので。若干度が過ぎてしまうときは諫めることもあるが、その程度だ。自分も趣味に没頭していると人の話を聞かないタイプであることは分かっているので、人にとやかくは言えない。

「んで付き合っちゃいけない3Bの話に戻るんすけど」
「戻るんかい。何?」
「律さん、元バーテンとして、自分が女の子だったらバーテンと付き合います?」
「付き合わない」
「何で?」
「何でって……、」

 思いついた理由を口にしようとして、押しとどめる。朝のあまり動いていない頭で口を滑らせて余計なことを言ってしまいそうだ。バーテンダー時代のことは付き合いのある友人たちにも時々聞かれるが、あまり人に話したくないエピソードもそれなりにある。恭もそれを狙ってこの話題を振ったのではないかというところに行き当たって、思わず溜め息が漏れた。
 これだから、油断ならない。

「……昼夜逆転生活だし、バーテン」
「それはそう」
「自分が夜の仕事してるならともかく、すれ違い生活しそうな相手とあんまり付き合いたくないかな」
「なるほどねえ」

 そっかあ、と呟く恭は納得しているのかしていないのか。律としては他にも理由はあるが、言う気にはなれない。ここで話を打ち切っておくべきだろう。ふあ、と欠伸をひとつ。やはり、仮眠は取っておいた方がよさそうだ。

「ごめん、ちょっと寝る」
「はあい」

 恭の呑気な返事を聞いてから、目を閉じて。そうして久々に思い出したバーテンダー時代のことを、意識から締め出した。


 恭がよく『大人組』と呼んでいるのは、律と丁野 英二、中御門 陵の三人のことである。紆余曲折あった末に気の置けない友人関係を築いている三人は、スケジュールが合った際や何らかの仕事を手伝ってもらった見返りという名目で年に数回は飲み会を開催している。大体酔い潰れた結果陵の神社に泊まって翌朝に朝食を食べてから解散、という流れになることが多い。
 本日の飲み会は、個室タイプの居酒屋にて。近況報告からあれやこれやと愚痴を言っているとアルコールも進むし、気が緩む。普段全く酔わない律がべろべろに酔うのはこの『大人組』の飲み会のときと、仕事が控えていない状態で恭と二人で呑んでいるとき程度だ。つまり、今日の律は酔っている。そしてどんなときでもアルコールに強い陵はにこにこと杯数を重ねているが、そこまでアルコールに強くない英二が二人と似たようなペースで杯数を重ねていれば、どうなるかは明白で。

「そいやこないだ恭くんにつきあっちゃいけない3Bの話聞かれたんだけどさー」
「ばーてんびよーしびわほーし? あれ、べんけいだったか?」
「なんて?」
「そういうCMが最近あるらしいですよ」
「あーだからかー。なんかあれだよねー、元バーテンとしてはもやっとくるとこあるよねー」
「実際どうなんですか? バーテンダー、付き合っちゃいけない男なんです?」
「悪い男はね、職業関係なくいますね」
「それはそう」

 ふふ、と笑いながら手元の焼酎を口にする律に、英二が据わった目を向ける。英二の横に座っている陵はそれを見てこの人これからろくなこと言わないだろうな、と思ったものの、敢えて口にして止めるようなことはしない。面白いことが起きそうだと思ったので。

「ばーてんのときにわるいことしたのか?」
「もくひー」
「このみのおんなくどいたりとか? わざとよわせておもちかえりしたりとか?」
「ふーひょーひがーい」
「ぴあのもひいてたからな、さぞかしもてたろ。やーいわるいおとこー」
「……なあに、丁野先生てば実は俺に口説かれたかったりした? ごめんね、現役のときに口説かないで」
「そんなことはいってないな?」

 にこり。笑った律を見て、陵はそっと隣の英二から離れた。すっと立ち上がった律がテーブルの反対側から英二の隣に移動してきたので、陵は先ほどまで律がいた場所に移動して腰を下ろす。きょとんとしながらワインに口をつけている英二に危機感はない。
 とん、と壁に右手をついて屈みこんだ律が、左手で英二の手元のワイングラスを奪う。乱雑にテーブルの上に置かれたワイングラスの中で、赤ワインが跳ねた。こぼれなくてよかったな、と思いながら、陵は日本酒を一口。

「え、なに、ちかくないか」
「……丁野先生がその気なら、俺ちょっと遊んでもいいかなって思うけど」
「は?」
「一晩くらい一緒に羽目外しちゃう?」
「よくないとおもう」
「けち。……後悔させないよ?」

 じっと英二を見下ろす律の表情は真剣だ。左手がそっと英二の頬を滑って、顎をくいと持ち上げられて。視線を逸らそうとしても、顔の位置を固定されるとどうしたって視界に入る。わあ面白い、とスマートフォンを構えた陵は全く助け船を出す気がない。

「ちょ、なかみかどさんたすけて、」
「何でですか」
「何で他の男の名前出すの。今は俺だけ見てて」

 む、とした律の声と共に、顔が近づいてくる。英二は完全に壁とテーブルと律に囲われていて、逃げ場がない。いやこれお互いに浮気に換算されるのでは、だとか。何で一瞬どきっとしたんだアルコールのせいか、だとか。余計なことを考えていたら唇が触れそうなくらいに近づいてきて、英二は思わず目を閉じた。それはもう、固く。

「……んっふ、やっばいおかしい、何で丁野先生この程度で固まっちゃうの? かわいい」
「丁野さんめちゃくちゃ反応がうぶじゃないですかどうしたんですか酔ってるからですか? こんなふうに口説かれるの慣れてないんですか?」
「……ッ、なん! なんだ! おま! えら! は ○×△☆♯♭●□▲★※!?」
「何て?」
「なかみーは知らなくていい口汚いスラングー……やっばおかしい……ッ」

 あっはっは、と心底楽しそうに笑いながら英二から離れた律は、テーブルに突っ伏してばんばん天板を叩いている。顔を真っ赤にして怒る英二にスマートフォンを向けたまま、陵は口元を押さえて必死に笑いを堪えて。

「なかみかどさん! こいつ! なれてる! ぜったい! わるいことしてる! ぜったい!」
「そりゃまあ茅嶋さんですからねえ」
「いえ! ぜんぶよめにばらしてやるから! いますぐはけ!」
「いーやーでーすー! やーでもかわいい反応ありがとー、えーじくん。また遊ぼうね?」
「しね!」
「あっはっは」