Silver - 02

 圧倒的だったという表現以外、紬希には思いつかない。
 あっという間に『怪異』を制圧した男は、「じゃ、連れて帰るから」と軽く言い残して去って行った。後に残されたのは、ぼろぼろになった影那と紬希である。

「……私は後で大丈夫、だから、先につむちゃんのこと、お願い……」

 弱々しい、だがはっきりとした影那の言葉になおんと鳴いた『猫神』が、すり、と紬希に擦り寄る。柔らかな感触と共に体中の痛みが治まっていき、紬希は体を起こす。周囲を見回せば床に倒れたままになっている影那が目に入って、慌ててそちらに駆け寄った。

「影那さんっ、大丈夫ですか!?」
「だい、じょうぶ……つむちゃん、は、だいじょうぶ……?」
「ボクのこと心配してる場合やないですよ!」
「猫たちも……みんな、無事かな……」

 明らかに、紬希よりも影那の方が重傷だ。『猫神』が影那の治療を始めているが、回復には少し時間が掛かるだろう。
 無事を確認するためセーフティエリアに猫たちを迎えに行くと、各々が飛び出して影那の元へと駆け出していく。同じように飛び出してきたものの、琥珀は紬希の足元から離れようとしなかった。仕方がないので、腕に抱き上げて影那の元へと戻る。ようやく体を起こせる程度には回復したらしい影那は、琥珀を抱いている紬希を見て安心したように微笑んだ。

「……よかった、みんな無事だね」
「影那さんが無事じゃないでしょ! 今日はもうお店も休んでゆっくりしてください」
「でも、」
「だーめーでーす! 臨時休業! 開けててもみんな心配で影那さんの傍から離れへんから仕事になりません!」
「……そっか、そうだね。ごめんね、心配させちゃったね」

 にゃあにゃあと口々に鳴く猫たちを撫でる影那を見て、少しだけほっとする。この様子であれば、きちんと影那は休んでくれるだろう。それに紬希にとってはどうにも苦手な相手ではあるが、影那の夫は『ヒーラー』だ。家に帰ってゆっくりすれば、体調もきっと元に戻るだろう。

「……あ、でもつむちゃん、これから授業だよね? お昼ごはん……」
「ちっちゃい子供やないんですから、お昼くらい自分で食べますよ。影那さんはもっと自分のこと考えて」
「でも……、あ、じゃあせめてクッキーくらいは持って行って? 作り置きあるから、今日のお礼」
「……そんなんボク、何の役にも立たんかったのに」
「一緒に戦おうってしてくれた気持ちが嬉しいの。だから」

 ね、と微笑まれ、挙句腕の中の琥珀にも同調するようににゃあ、と鳴かれ。無下に断り続けるのも何か違う気がして、紬希はこくりと頷いた。
 それにしても、どうしてあの『怪異』は再び現れたのだろう、とふと思う。消えた筈のC-ONの曲が影那と紬希のスマートフォンに知らぬ間にダウンロードされていたことから考えても、狙いは自分たちだったのではないかと勘繰ってしまう。『サイキッカー』である自覚はずっとあるものの、それほど『怪異』と縁を持たずに生きてきた。こうもおかしな事態が続くと、どうにも恐怖が先立ってしまう。身震いを隠すように、紬希はそっと琥珀を抱きしめた。

(……、会いたいな……)

 ふとぼんやりそんなことを思って。この後落ち着いたら連絡しよう、と心に決めたのだった。


 直接会うことができたのは、翌日の夜のこと。
 授業が終わった後、紬希はとある場所を訪れていた。駅近くの路地裏にある、雑居ビルの4階。そこにひっそりとあるバー【Bar Hope】では、一人の男がオーナー兼バーテンダーとして働いている。

「望睦のぞむさん、こんばんは」
「いらっしゃい、つむちゃん。……ん、ちょっと心配してたけど、今日は元気そうだね」
「へへ。昨日変な連絡しちゃってごめんなさい」
「気にしなくていいよ。俺はつむちゃんの彼氏なんだから、いつでも頼って」

 そう言って笑う男の名は、高輪たかなわ 望睦のぞむ。2か月前、音楽仲間の紹介で知り合い、あっという間に紬希は彼と付き合うことになった。――但し、彼にとっては何人かいる『彼女』の一人として、ではあるが。
 きっと影那に話せば心配を掛けることになるのだろうな、ということは分かっているが、既に望睦のいない生活など考えられない程、彼は紬希にとって大切な存在になっている。

「何か飲む? ノンアル作るよ」
「飲みたい。何かすっきりするやつがええなあ」
「おっけ、任せて」

 カウンター、望睦の正面に腰掛けてオーダーすれば、冷蔵庫の中を眺めた望睦がすぐに用意を始める。細長いグラスの中に、丁寧に注がれていくジュース。ややあってくるくると混ぜ合わせられたそれは、そっと紬希の前に差し出された。イエローの液体の上には、ライムが添えられている。

「美味しそう! 何?」
「ジンジャエール、グレープフルーツジュース、ちょこっとライム。すっきりっていうか、まあ、爽やか系?」
「へえー……、ん、美味しい」
「口に合ったなら何より」

 にこりと笑って、望睦はもうひとつ自分用のカクテルを作り始める。シェイカーを振る姿が格好いいな、と思ってしまうのは、自分がまだ子供だからだろうか。
 ややあって自分のカクテルを作り終えて、望睦はカウンターの中のチェアに腰を下ろした。カクテルグラスに注がれた青いアルコールが、間接照明に照らされて妖しく光る。

「で? つむちゃんは昨日何があって俺に会いたくなっちゃったの」
「んー……何て言うたらええんやろ……」

 説明をするのは難しい。『サイキッカー』だ『怪異』だとい話を、望睦相手にするわけにもいかない。当たり障りのない範囲で説明を、というのも難しい出来事ではあった。
 それでも、きっと。あのとき、本当に怖かったのだ。もう二度と望睦にも会えないかもしれない、と感じてしまったから。
 ゆら、ゆら。カクテルグラスを揺らしながら紬希を見つめる望睦の瞳は、とても静かだ。

「……、あ。もしかしてまた変な男に襲われたりしちゃった?」
「や、そういうんじゃなくて……うーん……。何やろ、ボク何もできひんかったなー、ってそれが悔しくて」
「ドラム?」
「や、バイト」
「そっか。でもつむちゃんのことだし、精一杯頑張ったんじゃないの?」
「頑張りたかったけど……頑張る前に、何もできんかったって感じかなあ」

 そもそも、影那に迎撃を提案したのは紬希だ。また影那が一人で戦うことになるよりは、と意気込んだ。しかし結局、そんな提案をしてしまったから影那を危険な目に遭わせてしまったのではないだろうか。迎撃するなら、もっと準備できることもあったのではないだろうか。
 あんなとき、どうしたらいいのだろう。自分には一体何ができるのだろう。せめてもう少し、自分の身を守れるようになりたいと思う。影那はいつも、身を挺して紬希のことを守ろうろしてくれるから。

「大丈夫だよ、つむちゃんなら。頑張り屋さんだから。次のときはちゃんと頑張れる」
「うーん……あんま自信ないかも……」
「何で。俺のこと信じられない?」
「……望睦さん悪い男やからなあ……」
「それを言われちゃうとなー」

 ははっ、と楽し気に破顔する望睦に、つられるように紬希は笑う。――何も上手くは話せてはいないのに、ふわりと心が軽くなった気がするのはどうしてなのだろう。
 そういえば、と別の話に切り替えながら。今日こうして望睦に会えてよかった、と心の底から思ったのだった。

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