Silver - 01

 紬希が大学生となって早2か月。
 一人暮らしになり、学校の環境も新しくなり、交友関係も広がった。ひょんなことから知り合ったバーテンダーの男と付き合うことになったり、少し変わった同級生たちとバンドを組むことになったりと、どたばたした日常を送っている。勿論、影那の猫カフェでのバイトも続けていた。紬希にとっては週2回の、癒しを兼ねた楽しいバイトの時間だ。
 その日も授業を終えてすぐ、紬希は猫カフェへと向かっていた。たまたま電車の遅延に引っ掛かってしまい、すぐに影那に「ちょっと遅れそうです」とメッセージを入れたのだが、一向に既読がつかない。今日はもしかしたら忙しいのだろうか、と紬希は首を傾げた。どうにかこうにか電車を降り、向かった先の猫カフェはとっくに営業している時間だというのに、『準備中』の札が掛かったまま。

「影那さん?」

 何かあったのかもしれない。恐る恐る猫カフェの扉を開き――目に入ったのは。

「あ、つむちゃん……」
「え!? 何があったんですか!?」

 荒れた店内と、床に座り込んでしまっている影那。そしてその影那に寄り添っている白猫――『猫神』の姿。
 慌てて店に常備されている救急箱を取りに行ってから、影那に駆け寄る。傷としては擦り傷程度のものだが、何かが起きたのは明らかだ。

「お店の準備してて、いつも通り音楽流したら、急に『怪異』が現れて……」
「えっ。襲われたんですか!?」
「うん。何とか追い払ったんだけど。心配掛けちゃってごめんね」
「そんなん全然! 影那さんが無事で良かった……来るん遅なってもてごめんなさい」

 大丈夫だよ、と影那は笑ってくれるが、電車さえ遅延していなければもう少し早く来られたのだ。影那を一人で戦わせずに済んだかもしれないのに、と考えるとどうにも悔しい。せめて原因を究明することくらいは役に立ちたい。原因が分からなければ、また同じことが起こったときに対応ができない。
 猫カフェではいつも、カフェミュージックのチャンネルが流れている。影那自身が曲を選曲しているわけではない。音楽を流したら『怪異』が現れたのであれば、まずは今日のプレイリストを確認した方がいいだろう。
 すぐにプレイリストを検索して、該当する時間帯を眺める。数々の曲名が並んだそれの中にひとつ、引っかかる曲名を見つけて紬希は瞬いた。
 ――『Silver』。

「……影那さん、これ、もしかしてC-ON……かも」
「え」
「どんな曲かかったか覚えてます? 電子音的なやつじゃなかったですか?」
「……言われてみれば、そうかも……」

 数か月前、影那と仲良くなるきっかけになった事件。
 新進気鋭のアーティスト、C-ON。一時期、そのアーティストの曲を、紬希は好んで聞いていた。そして話のネタとして、影那にそのアーティストを勧めたのだ。結果としてそのアーティストの正体は『怪異』であり、楽曲を聴いていた二人は謎の『怪異』に襲われることになった。そのときと、状況がよく似ている。
 慌ててスマートフォンを確認する。かなりの曲数が入っている紬希のスマートフォンの中に、ダウンロードした覚えのない『Silver』と書かれた楽曲が入っていた。アーティスト名は、C-ON。影那にもスマートフォンを確認してもらうと、同じようにC-ONの曲が入った状態になっている。
 あの事件の後に、すべて消えた、再生できなくなった。その筈なのに。

「……ってことは、これ、またこの曲が流れたら『怪異』に襲われる……ってことだよね」
「そうなりますね……」
「どうしよう、カフェを無音にしておくわけにもいかないし。他の方法で違う音楽にしてみても、割り込んできそうな気もするし……」「……あ。じゃあ、用意して迎え撃ってみるっていうのはどうです?」

 いつ襲われるか分からない。だがしかし、楽曲が流れる、と予め分かっているタイミングであれば、覚悟して対応することはできる。追い払って終わりとなれば、また楽曲が流れたタイミングで現れ続けるようないたちごっこになるかもしれないが、何もしないよりはマシだろう。
 改めてプレイリストを検索し、次に『Silver』がかかるタイミングを探す。

「……あった! 二日後の午前中にまたかかりそうですね」
「なら、そのときに迎撃してみようか。でもつむちゃん、平日だし学校でしょ? 危険だし……」
「大丈夫、この日やったら授業は午後からだけなんで! 影那さん一人危険な目に遭う方が嫌ですよ」
「……そっか。じゃあ、ありがとう」

 ――しかし。少しとはいえ今回、影那は怪我を負っていた。
 現れるたびに強くなっていたりしないだろうか――という嫌な予感を抱えつつ、紬希は少し荒れてしまっている店内の片づけを始めたのだった。


 そして二日後の朝。紬希は猫カフェを訪れていた。

「おはようございます、影那さんっ」
「おはよう、つむちゃん。朝ごはん食べた?」
「食べてきましたよー。あ、おはよー琥珀ちゃん。今日も元気そうやね」

 ごろごろと喉を鳴らしてすり寄ってくる琥珀を構いつつ、紬希は早速C-ON迎撃のための準備に取り掛かる。店内には既にカフェミュージックが流れているので、定刻になれば『Silver』が流れてくるだろう。その前になるべく被害を最小限に抑えるため、テーブルやソファなどを店内の隅に固めて置いていく。

「影那さん、耳栓にイヤホンします? ノイキャン、念の為2個持ってるんですけど」
「うーん……でも、音楽が私たちに聞こえないと出てこないかもしれないし。それに、イヤホンだとそっちから勝手に流れてきちゃうかも」
「あ、それもそうか」

 迎撃すると決めたところで、できることは少ない。こちらは『怪異』が出てくるだろう、という覚悟をするしかなさそうだ。
 時刻が近づくと、『猫神』が猫たちをセーフティエリアになる場所へと連れて行き、店内には影那と紬希の二人だけが残った。

「……何かそわそわしてきた……」
「大丈夫。リラックスして待ってよう」
「はあい」

 とはいえやはり、待ち構えるというのは落ち着かない。そわそわしながら、流れてくる楽曲に耳を澄ませる。――そこに突如走る、ざざ、と小さなノイズ音。はっとすると同時、鳴り始めた電子音。それは間違いなく、C-ONの曲だ。
 影那と二人で構えると同時、虚空に影が現れた。黒いシルエットだが、それは丸く、どこか人の頭の形に似通っているようにも思える。そこからぽたぽたと、何かが滴っているような。

「――ッ」
「影那さん? 大丈夫です?」
「大丈夫……」

 青い顔をして口許を押さえた影那には、それが何に見えたのだろう。セーフティエリアから戻ってきた『猫神』が、影那と紬希を守るようにして『怪異』と二人の間に立つ。だがそれよりも早く、『怪異』は動いた。奇怪な音が衝撃波となり、紬希へと向けられた。

「えっ……、ッ!?」

 咄嗟の防御を軽く突き抜けたそれは、容赦なく紬希の身体を吹き飛ばす。心配そうに紬希の名を呼びつつも『怪異』に攻撃を加えようとした影那も、あっという間に吹き飛ばされる光景が視界に映って。
 ――嫌な予感が当たってしまった。この『怪異』は、強くなっている。初めて出会ったときよりも、明らかに。
 反撃すべく何とか体勢を整え直したものの、なすすべもなく再び吹き飛ばされてしまう。壁に叩きつけられ、体中に走る痛みに、上手く呼吸ができない。二人の様子に『猫神』が次々に癒しの力を使ってくれているのが分かるが、その治療も追いついていないような状況だ。
 手も足も出ない。こんなときにどうすればいいのか分からない。このまま嬲られて終わってしまうのだろうか。何か、どうにかと思うのに、視界がぐらぐらと揺れていて、霞んでいる。上手く思考が動いている気がしない。
 意識が遠のきそうになったそのとき、店の扉が開く音がした。こんなときに誰が、と思ったものの、その気配は人のものからはかけ離れているように感じて。

「こんちはー。何かアラーム鳴ったから来てみた」
「……あ、」
「猫姐さん、これ助けいる感じ?」

 そこにいたのは、大学生のような風貌の男だった。話しかけている相手は影那だ。弱弱しいながらも影那が頷き、それを確認してから、男は『怪異』へと視線を向けた。飛んできた衝撃波をものともせず、その手は影へと伸びて。

前のエピソード
次のエピソード