Mysterious House - 03

「中御門さん容赦ないな」
「本人ではないのでその辺は割り切ってます」

 鉄刀が綺麗に入った瞬間、『外法使い』は消え失せた。真っ黒な液体へと変化したそれはびしゃりと床に広がり、まるで最初からあったかのような黒い染みへと変化した。何事もなかったかのように鉄刀をしまう陵に感心しつつ、英二を先頭にして二階へと上がる。
 二階に上がると、そこで階段は途切れていた。これ以上先には進めないようだが、部屋の中には階段以外何もない。周りを見渡して、床にころりと転がっているものを見つけて陵がそちらへと足を向ける。拾い上げたそれは切れ味が鋭そうなサバイバルナイフ。おお……、と困惑した声を上げて、恭が一歩後退った。

「俺が持てないやつっすねそれ……」
「大丈夫です持ちます」
「此処に手ぶらの人間がひとりいるんだが。まあ良いか。……指でつついたらやはり鋭いかな」
「丁野さん。柳川くんが血のついたナイフを見せる気ですか」
「すまん」

 二人のやり取りに、はは、と恭は引き攣った笑みを浮かべる。恭の刃物に関する心の傷が根深いことは、英二も陵もよく知っていることだった。当時何があったのかの大体のあらましは、全て終わった後に律から聞いている。故に普段日本刀を得物とする陵は今日に限っては鉄刀に持ち替えているし、英二も刃物は持ってきていない。数年経って対応できるようになっているようだが、それでもなるべく余計なことは思い出させたくない、というのが陵の本音だった。
 ナイフを懐に閉まって、次の部屋へと向かう。一階と同じく、部屋は四つのようだった。開けた扉の先はまたゴミ屋敷のようになっていて、自然と三人の口からため息が漏れる。どうにもこうにも時間がかかって仕方がない。それでも部屋をひっくり返して、ようやっと見つけたのはお茶碗程の大きさの器だった。他に置いてある皿は軒並み割れているのに、ひとつだけ何の傷もない器なのだからこれを使えといっているようなものなのだろう。
 そしてその隣の部屋に入った、その瞬間。

「っ……!?」
「わっ、なかみー大丈夫!?」
「だ、大丈夫ですが……これは」

 ずるり、と足を滑らせた陵の足元に広がるのは、真っ赤な血。かといって、陵が出血している訳ではない。あちこちが血に濡れてしまった着物を気にしつつその血をよく見れば、部屋の床を大きく使って字が描かれているのが分かる。その先に、掌が何かを乗せる台座になっているような銅像が鎮座していた。

「……『血を求めよ』、か」
「あの銅像に置く、ということでしょうかね」
「ふむ……、……ナイフ、器、血……」

 考えながら何気なく自分の手首を捲った英二に、陵は眉を寄せた。ロクなことを考えていない。

「取りあえず最後の部屋を調べてから言ってください」


 四つ目の部屋には、一階と同じように柵に囲われた階段があった。先程と違うのは、その階段の扉の前に銅像が建っていることだ。銅像がどうにかすると階段を上れる、ということだろう。銅像の足元にはシンナーの入った容器が転がっていて、徐に英二がそれを拾い上げた。

「さっきの血文字を消すには量が少ないな……、他に消すものがあるということか」
「銅像に消すようなところはないですね。……というかこの像、何処かで見覚えが……」
「ん?」

 陵の言葉に、英二はまじまじと銅像を見上げた。言われてみれば確かにそれに見覚えがあるような気がする。更に言えば、少し何かが足りないな、と思う違和感。さて何だったか、と暫く考えて、ふと思い出したのは。

「ああ、エクソシスト協会の」
「……思い出すのが遅くないですか?元『エクソシスト』」
「何か足りないよな」
「ロザリオでしょう」
「あ、成程」
「何故私が気付くのに貴方が分からないんですか」
「ロザリオか……いや信仰心低いもんだから全くもって可能性除外してたな……じゃあロザリオ探すか」
「でもこれで二階は全部の部屋調べたっすよねえ」

 うーん、と首を傾げる恭の言葉はもっともだ。何ひとつ謎も解けていない。
 銅像はロザリオがないこと以外、何の問題もなさそうだった。シンナーを使って消すようなものも特になさそうだ。となると、どうしても気になるのは隣の部屋にあった方の銅像ということになる。部屋にあった言葉――『血を求めよ』。

「にしても、なかみーの着物が血まみれになっちゃったっすねえ」
「この血、シンナーで落ちますかね?」
「それは無理だろう……、あ。中御門さんのその着物を銅像に掛けてみるか」
「脱いだ後私の服どうするんですか……っていうか何の為に器があると思ってるんですか?」
「あ、それ」
「何の為にナイフがあると思ってるんですか?」
「あ、じゃあ俺?」
「何でなんすか!?」
「いや、何となく。そういう作業は俺がやった方が良いのかなと。柳川くんにはできないだろう?」
「それはそうなんすけど」
「という訳で中御門さんお願いします。さあ来い」
「何言い出してるんですかこのお馬鹿!」

 さあ刺せと言わんばかりに両手を広げる英二に、陵は思わず声を荒げる。隣の恭が明らかに困惑した表情をして陵の方にそっと移動した。冗談だ、と笑ったところで、陵の視線は冷めている。恭のトラウマを知っていながらやる行為ではない。
 こほん、と咳払いひとつ。いつまでもこんなことをしていても埒が明かない。

「……『血を求めよ』、なんですよね。『血を捧げよ』ではなく」
「あー……誰が誰を何に?」
「器に血を溜めて、あの像のところに置く、というのは間違いないと思うんですが、問題はシンナーを何に使うのやら」
「……柳川くん、ちょっと離れろ。向こうを向け。こっちを見るなよ」
「えっ何するんすか」
「いいから。部屋は出るな、一人になるのは危ない」
「いやほんっとに何するんすか……?」

 恐る恐るながらも、恭は部屋の隅へと移動する。その後ろ姿を確認してから、英二は陵に口パクでナイフ、と指示した。一抹の嫌な予感を感じながらも、陵は英二にナイフを手渡す。ナイフを受け取った英二は徐に服の襟元を噛んでナイフを構えた。
 そして次の瞬間、英二は躊躇うことなく己の手首を切り裂いた。
 ぼたぼたと零れ落ちる血。何が起きたのかと目を瞬かせる陵を横目に、英二は己の手首を器の上へと移動させる。——しかし、通常なら溜まるであろう器にその血が溜まることはなく、床に赤黒い血が広がっていくだけだった。

「いや何か起きろよ取るだけ取って何もないとかもっとマーケティング戦略について学べ訴えるぞ」
「……、いや何してるんですか貴方!? 馬鹿ですか!? 馬鹿なんですか!? いい加減ヒトとしての倫理を学んできたらどうですか!? ちょっと柳川くん絶対こっち向いちゃ駄目ですよ!?」
「ひゃう……何したのジッポせんせーいやもう想像つく……マジで……」
「悲鳴はあげなかっただろう。あと器に血を溜めるって」
「シンナー何に使うのかって話をしたかったんですけど!?」

 怒鳴りながら、陵は慌てて英二の応急処置を行い、床を濡らした血の掃除をする。着物の上着を一枚使い物にならない程に汚すことになったものの、この状況を恭に見せられる訳がなかった。
 何故か納得のいかない顔をしている英二のことは後で律に報告しよう、と思いつつ、仕切り直しも兼ねて部屋の移動を提案する。どちらにしろ、階段の像よりも先にキーになるのは血文字の残された部屋の銅像だろう。血文字と銅像のあった部屋に移動して、陵は疲れ切った溜め息を吐いた。先に進める気がしない。

「それにしてもシンナーなあ。他に何かあるのか?どう思う柳川」
「んー、てか全部使うんすかね? さっきも全部使ってないような」
「マッチが一本残っていたなそういえば……ふむ、シンナーはよく燃えると思わんか」
「丁野さんさっきから何言ってるんですか酔ってるんですか?どうしても燃やしたいんですか?」
「火事になるでしょ!? いやもうそんな解決法ある!? 俺律さんとそんなことしたことないんすけど!?」
「柳川くんに正論で怒られる事態になっていることを反省した方が良いですよ」
「はい。それにしても求めよ、か。動く点Pの速度を求めよみたいなことを言いやがって」
「丁野さん」
「すまん黙る」

 本当にこのままでは一生この屋敷から抜け出せない。
 さてどうしたものか、と陵は思案する。英二の血は器には溜まらなかった。恐らくそれは――やるつもりは全くないが――陵がやろうと恭がやろうと変わらないだろう。何より、先程一階にあった神棚は陵が行動しなければ何も起きなかった。今回『エクソシスト』に纏わるものがあるなら、行動しなければならないのは英二だという予測はつく。その英二の血が溜まらないのだから、求められているのは別のものだ。
 そう――求められている。捧げる訳ではなく。

「……あ、丁野さん。先程のお肉屋さん」
「ああ、下の」
「新鮮なら血が出るのでは? 下まで行って血を求めてこい、ということかもしれません」
「成程。可能性はあるな……」

 行ってくる、とすぐに英二は部屋を出て行く。——これで少しでも状況が前進すれば良いのだけれど、と陵は疲れ切った溜め息を吐くのだった。


 血を掬ってきた、と見せようとしてきた英二のことは流石に殴った方がいいな、と陵は思った。
 ひえ、と部屋の隅に飛び退いた恭に謝りつつ、英二はおら、と面倒そうに像の手の上に器を置く。途端器に溜めてきた血は消え失せ、代わりに器の中に現れたのは血で汚れたロザリオだった。

「そんなんだから趣味が悪いとか言われるんだぞ」
「貴方に言われたくないんじゃないですかね……」
「これを階段のところの像に掛ければ良いか。……掛けるのか?」
「何で私に聞くんですか」
「いや信仰心薄かったから自信がない」

 どっと疲れた表情を見せる陵と、最早英二が何をするか分からず恐る恐る行動する恭と共に、英二は階段のある部屋へと向かう。像と向き合ってロザリオをかければ、霧散するように像は黒いもやへと変わり。

「お、出たっすね」
「先程丁野さんと柳川くんにはこんな風に見えていたんですね」

 言いながらすぐに戦闘態勢を整える二人と同じく――とは、いかなかった。
 英二の目に、それは黒いもやには映らない。何か分からない黒い『何か』にはならない。歪んでブレて見えるものの、その姿は金髪の女性のようにも、筋骨隆々の男性のようにも見えて。そしてその姿に、英二は嫌という程見覚えがあった。乾いた笑いが口から漏れる。馬鹿な冗談を言っている場合ではない。

「くっそこういうことか……こういうことかこれ」
「丁野さん?」
「中御門さんよくやったなお前!?」
「おや、分かって頂けましたか」
「誰に見えてるんですか?」
「あ?まあアレだよアレ」
「何です」
「アレ!終わり!」

 頭の中に浮かんだ名前を口に出す気にはなれなかった。真っ直ぐに銃口が向けられる。或いは剣先が。避けなければ、と思っているのに、身体が動かない。引き金が引かれたのか、剣が振るわれたのか。脇腹を抉ったそれに思い切り吹き飛ばされて、舌打ち。
 動揺している場合ではない。分かっている。分かっていても、手を下したくない相手を選んでくる辺りこの屋敷の主は意地が悪いらしい。喉から溢れる血を床に吐き捨てて、向き直る。

「……ははははは」
「ジッポ先生が怖いんすけどー!なかみー助けて!」
「ああもう放っておきなさい、集中しないとやられますよ!」
「中御門さん回復出来るものは何か持ってるか」
「少しは。如何してです?」
「死んだら頼む」
「ジッポ先生死ぬの!?やめて!?」
「何で貴方はいちいち柳川くんのトラウマ抉っていくんですか!?絶対わざとですよね!?」