Wizard's Classroom - 03
物置の状態を説明していると、アクティブスペースにいた生徒の一人がやたらと挙動不審になっていることに気が付いた。各々怯えているのでその少年も同じようなものかと思ったが、それにしては様子がおかしい。膝を抱えて座ったまま、視線が泳いでいる。つん、と恭をつついて少年の方を指差せば、少し首を傾げてそのまま少年の前にしゃがみこんだ。しかし、視線は合わない。
「どした? 大丈夫?」
「わあああああああ!?」
「えっなに、大丈夫だよちょっと落ち着いて? ねえ?」
話しかけた瞬間、奇声をあげて立ち上がった少年につられるように恭が立ち上がって。落ち着いて座らせようと手を伸ばすと、その手は払い除けられ。
「だって先生がそうやったら魔術師になれるって言った!」
「えっ」
「先生が言ったんだ! 俺は悪くない! 悪くないんだ!」
「わっ、分かった分かった悪くないよ、俺まだ何も聞いてないし、ゆっくり話しよ、な?」
「わああああああ!」
少年は完全にパニック状態に陥っている。宥めようとする恭――の視界に映ったのは、少年が取り出したカッターナイフ。条件反射で後ろに下がった恭は、そのまま体勢を崩すことなくカッターナイフだけを蹴り上げ、人の居ない方へと飛ばす。ほっとしたのも束の間、次の瞬間、今度は少年の体が吹っ飛んだ。
目を点にする恭の前で壁にぶつかって、上両手足が有り得ない方向に曲がり、見えない力にぐしゃりと押し潰された少年は、体中から流血してそのまま意識を失って床に落ちる。一瞬の静寂の後、狂乱に支配される室内。頭を抱えつつも大騒ぎになる人々を落ち着かせようと動いた陵をよそに、ぐるりと振り返った恭が声を荒げた。
「アリスちゃん!? 何やってんの!?」
「だってアイツが恭くんにカッターなんて向けるから……恭くんに刃物向けるだなんて許せる訳がないでしょう」
「何当たり前みたいな顔してんの!? 俺助けてって言ってない! 無傷! 何!? 俺にナイフ向けるよりひどいことしてない!? 何でアリスちゃんそういうことすんの!」
「確かに怪我はしてないかもしれないけど! でも! アイツが悪いでしょう!? 恭くんだって何かあったらお願いって言ったじゃない!」
「あれくらいは何かあったらの部類に入らない! 何のために俺頑張って修行してっか忘れてない!?」
ぎゃあぎゃあと言い合う恭と『黄昏の女王』を背後にしつつ人々を移動させ、陵は深々と溜め息を吐く。今の恭は恐らくすっかり忘れているが、一般人に『黄昏の女王』の姿は見えない。例外は混じっている『彼方』の少女くらいのものだろう。少年が超常現象に見舞われ、恭が虚空に向かって怒鳴っている様子はどう考えても普通ではない。帰りたいと泣き出す者まで出てくる始末である。
大惨事だ、と頭を抱えつつ、陵は少年の様子を確認する。辛うじて息はある。『黄昏の女王』のやったことだ、『ヒーラー』が手配できれば治療は可能だろうが、このままにはしておけない。着物の上着と物置にあった資材を使って応急処置を施す。
「もう何も話聞けないじゃんアリスちゃんのばか……」
「だって恭くんが危ないと思ったんだもの」
「やり過ぎだしやっていいことと悪いことがあるでしょ!」
「アイツが先にやったのよ!」
「……やな……、舎弟それいつまで続きます……?」
いつまでもヒートアップしていそうな言い合いに声を掛けると、ようやっと我に返ったのだろう。はっとして周りを見回した恭の口から、ああ……と何とも言えない声が漏れた。恭の気持ちは分からなくもないが、この状況は最早どうしようもない。
「……もういいもんアリスちゃんのことはゆりっぺに言うもん……」
「何で憂凛に言うの……!?」
「はー……なかっ……組長その子のこと若頭に報告しなきゃ……」
「そうですね、応急処置はしましたが治療できる人を回してもらわないと。……それにこの子が言っていた『先生』も気になりますね」
「……そーいや、いなくない?」
あんまり覚えてないけど、と言いつつ恭は室内にいる人々を見回した。つられて陵も辺りを見回すが、授業をしていた『先生』の姿が思い出せない。恭と違い授業を聞いていたにも関わらず――だ。
「……『先生』はヒトではないかもしれませんね」
「あー……なるほど?」
「となると……、……若頭の了承は得ておきましょう」
後片付けを律に任せることになるなら、勝手なことをするよりも許可を取っておいた方が良い。電話を掛けると、待機してくれていたのか、コール音も鳴らないうちに律は電話に出た。掻い摘んで状況を説明すれば、疲れ切った乾いた笑い声が返ってくる。気持ちは分からなくもない。
何より律の場合、「まあアリスちゃんが居るから」で恭を放任していることも多い。実際、恭に危害が加えられてはいない。但し、未遂で大惨事は引き起こされている。
『……まあアリスちゃんの教育は憂凛ちゃんに任せるとして』
「若頭が手を出したら妖怪大戦争になりそうですもんね」
『それ組長の家の中の話でしょ。まあいいや、あれこれ情報追ってみて、そこの『先生』については大体割れてる。犯人は一般人じゃない、姿が見えないなら姿を隠してるんだろうから、存分に『陰陽師』としての本領を発揮していただいて問題ないです』
「分かりました、それでは遠慮なく。……ここにいらっしゃる方々はどうしましょうか?」
『ああ、それについてはもうすぐ桜が警察のそういう部署のメンバー連れて到着するから、その時に適切に記憶処理すると思う。そこから出さないようにだけしておいて。一般人が巻き込まれるとほんっとめんどくさいんだよな……』
「発言が怖い。……ええとあと、SUWAくんどうします?」
『使えるものは使っとけば? 役に立つ気はしないけど』
綴に対する律の扱いはかなり雑な上に辛辣だな、と思いつつも、分かりましたと返事を返して陵は電話を切る。隠れている者を探すとなると、恭は向いていないだろう。宥めるのは難しくなってしまったが、此処に居る人たちを見ておくくらいは頼める筈だ。
ちらりと綴の方を窺えば、きらきらとした目を向けられた。何処かに行くと言えば、すぐについて行きたいと言い出すことは間違いない。先程の顛末を見ても物怖じしないのは褒められたことではないが、人手はあった方がいい。
「……ええと、舎弟。ちょっとSUWAくん連れて行きますね」
「おっけーっす。何かあったら呼んで、飛んでく!」
「分かりました」
「やったー! 組長が連れてってくれる!」
「SUWAくん静かにしないと怒られるよ?」
「舎弟に言われたくねえな?」
「馬鹿言ってないで行きますよ」
またやいのやいのと言い合いをされては困る。綴をずるずると引き摺る形でアクティブスペースを出て、向かった先は教室だ。よくよく考えればあの停電の前まで、教室では授業が行われていた筈で。停電の後、教室に居た人々を動かした時にもう『先生』が居なかったのだとしたら、隠れている場所は教室以外考えにくい。
そしてその考えは――正解だった。
おお、と綴が赤いスマートフォンを構える傍ら、陵は牽制を兼ねて『式神』の用意をしながら『それ』を観察する。半人半蛇、ラミアのような風貌の『それ』は確かにこの教室の講師だった人間の面影を残していた。魔術師になれる教室を騙り、薬で幻覚を見せ、素質がある者を取り込むのが目的だということだろうか。細かいことを考えても仕方ない。やるべきことは決まっている。
「居ました!」
「おっけー!」
声を上げれば、本当に飛んできたのかというスピードで恭が教室に飛び込んできた。入った瞬間にはその服装が軍服へと変わっている。え、え、と驚いている綴は恭が『セイバー』であることには気付いていなかったのかもしれない。
恭の乱入で状況が動く。陵を狙った一撃が繰り出されようとした、そのときだった。
「アンタの! せいで!」
怒声と共に、『黄昏の女王』がラミアの前に立ちはだかり。
「こわいものをみた」
「あれをひとはやつあたりといいます」
一瞬の出来事だった。遠い目をしている恭と綴に苦笑しつつ、陵の視線はフロアをふわふわと飛んでいる桜色の翅の蝶を追っていた。先の律の電話通り、あの後すぐに到着した桜と警察の面々が事後処理を行っている。いつの間にかぐっすりと眠り込んでいる人々は、『記憶処理』をされているのだろう。唯一、『彼方』の少女だけは「必要……ないですよね……?」という桜の一言と共に先に帰っていった。本当にただ紛れ込んでいただけだったらしい。『黄昏の女王』により大怪我を負った少年も動ける程度にまでは治療され、この後に事情聴取等を受けることになるようだった。彼に『記憶処理』がどう施されるのかは分からないが、どんな理由であれ人を殺したことに変わりはない。そのことに関してはきちんと法の下で裁かれることになるのだと聞いた。
ラミアはキレた『黄昏の女王』の餌食となり、その後を引き継ぐ形で『陰陽師』として陵が祓う形になった。本当ならば何が目的なのかを聞き出すべきだったのかもしれないが、その辺りは諦めざるを得ない。どうにもならないことはある。
「あっそういえばSUWAくん撮影してたでしょ、あれ拡散しちゃダメだかんね」
「トッテナイデス」
「いや冗談抜きであれ拡散したら若頭に殺されるし俺も殺されかねないマジでやめよ?」
「ああ、そのときは私も参加しますね」
「えっ組長それは殺す側? 殺される側?」
「殺す側ですが」
「ぎゃーやめよやめよ!?」
「やめよやめよ! あぶないあぶない! 組長こわい!」
「……あとSUWAくん俺にうっかり何かあったらやばいの見たじゃん……? いのちだいじにって言うじゃん……」
しくしく、と泣き真似をする綴にしみじみとやめようね、と声を掛ける恭に苦笑しつつ、さて、と陵は受付にあった入会書類を一枚引き抜いた。そこには汚い字で「柳川恭」と書かれている。
「……こういうところで本名を書くなって言わなくていいんでしょうか」
「帰ったら報告しておきますね……」
陵の独り言が聞こえていたらしい桜が、処理の片手間に困ったように笑った。
そしてこれは、ささやかな後日談。
「さて、恭くん」
「……ハイ」
にこやかな律の笑顔から目を逸らす。どうしてこんなことになっているのか。たまたま少し『魔術師になれる教室』と聞いて興味が湧いたので行ってみただけ、が殺人事件に遭遇し、挙句に仕事の案件となってしまった。最終的に律の目の前で正座をする事態に陥っている。
「なーんで澪生の隣でほっとんど寝てるとはいえ俺の魔術の話聞いててまだ魔術師になれる教室とかいうどう聞いても怪しい小中学生向けの詐欺教室行こうと思った?」
「……大人もいたもん……」
「うん、恭くんとかね」
「あう」
「そんなに魔術のことを知りたければ無料で懇切丁寧に授業してあげるよ? 延々と恭くんのお馬鹿な頭でも理解できるまで」
「やだー……だって律さん何言ってっか分かんないもん……」
「教室でのラノベみたいな説明さえ寝てたってなかみーに聞きましたけど」
「ハイ……」
実際、恭には授業の記憶がほとんどない。授業が始まって数分と経たないうちに、こんな説明をされたところで魔術を使えるようにはならないということは理解できた。挙句の果てにそれではやってみましょう、と言われてできるのであれば、世の『ウィザード』は何の苦労もしていない。そんな筈がないことを隣で見てきているのだから、すぐに失敗したなあ、とは思った。思いはしたものの、それでももしかしたら、という希望を捨てられなかったのだ。
恭は『セイバー』であり、『ウィザード』ではない。そんなことは分かっている。それでも、もう少し何かできるようになればと考えてしまう。強くなれるなら強くなりたい。それは恭の中にある、非常にシンプルな欲求だ。
恭の様子を眺めていた律は、数秒考えこんだ後にふと口を開いた。
「……まあ、澪生に話してることは『ウィザード』の基礎が分かってる人間への話になるから、恭くんが分からないのは分かるけど」
「!」
「嬉しそうな顔しないの。うーん……恭くんが納得する言い方で言うと、恭くんは既に魔術を使えてる」
「へ?」
「厳密に言うなら違うけどね。同じ『ウィザード』でも使える魔術は人による、っていう話をしてたのは覚えてる?」
うん、と恭が頷けば、今度は安心したように息を吐く。覚えているというよりは、それは体感しているという方が正しいかもしれない。仕事の関係上、他の『ウィザード』と共闘することもあるが、魔術の使い方はそれぞれだ。呪文詠唱であったり、本を持ち歩いていたり、カードを使っていたりと、その内容は多岐に渡る。
「俺たち『ウィザード』は『外側』に向けて魔術を使う。何をするにしても、自分に何かしらの魔術を使うにしても、いったん自分の『中』から『外』に向けて力を使うんだよね。『彼岸』の力を借りるにしたって、それは自分の『外』からの話だし」
「……? わかんない」
「うーん。ええとね、何かしようと思ったら一回ごはん作らなきゃいけない、みたいなさ。自分に何かしようと思ったら自分でごはん作って自分で食べる。攻撃しようと思ったら……あれだ、パイ投げ用のパイ作ってぶん投げるみたいなイメージ。溜めておけないから、直前に作るしかない」
「パイ投げ」
「イメージの話だよ」
「まあでも、何となく……?」
「俺たち『ウィザード』は魔術を使おうと思ったら一回そうやって何かを作る、っていう作業を挟むんだけど、恭くんは何も作らなくても、恭くんの『中』でそれが完結する」
「俺の中で?」
「そう。わざわざ使う直前に何か作らなくてもいい。普段食べてるごはんとかを使って、『変身』ができるって感じ?」
「『変身』? ……あっ」
そういうものだと思っていたから、よく考えたことがなかった。着ている衣服に関わらず『変身』すれば服装が変わり、『変身』を解けば元の服装に戻る。律が言っているのはそのことだ。
意識したことがなかったが、よくよく考えてみれば、それはあまりにも不可思議な現象だ。それは『魔術』と同様と見なせる――ということを理解して、おお、と恭は声を上げる。
「恭くんは何か作るっていうのは下手だから、分かりやすい形で魔術が使えないだけで、身体能力の強化や向上っていう形で魔術を使ってる。それは俺が使えないタイプの魔術。使える魔術は人によるのは分かってるんだったら、恭くんはそういう魔術を使えるんだって考えられない? そして恭くんが使ってる魔術は俺は使えないし、不向きな魔術を習得するってなると俺でも難しい。どう?」
「はー……そっか、そういうことかあ。……えっ律さんもっと早く教えてくれればよかったのに」
「ここにきてまだ魔術使いたいとか言い出すとか思ってなかったんだよ、自覚しろ『セイバー』」
「ハイゴメンナサイ」
「ていうか本当に分かってる?」
「……えっと、俺はごはん作れないから雷ばちばちとかいう魔術は使えないけど、でも俺の場合はいっぱい食べると強くなる魔術が使える」
「……そういうことにしておこう……」
例え間違えたな、とぼやいて脱力しながらも、ひとまず話は通じたと判断したのだろう。律は話を切り替えるようにぱん、と手を叩いた。
「ところで恭くんが余計なものに関わったせいで俺の仕事が激増したので、くだらないことに首突っ込んでないできりきり仕事してください」
「ひえ」
「『蛇野辺』かあ……『麻宮』衰退してから日本の『ウィザード』界隈もきな臭くて困るな……『月ヶ瀬』にフォローアップ頼んだ方がいいかな……めんどくさ……」
「?」
「……日本における『ウィザード』の分化について呪術師だの何だのって話をしたら確実に恭くんは寝るな」
「え? なんて?」
「何でもない。今度澪生に話でもしてみようと思っただけ。ところでアリスちゃんは?」
「あー……」
恭のスマートフォンを見た律が首を傾げる。事件中、恭と行動を共にしていた『黄昏の女王』、もといチェシャ猫のキーホルダーはそこにはない。同じようにスマートフォンに目を落とした恭は、そのままそっと目を逸らし。
「……ここに来る前に、桜っちから既に報告入ってて……ゆりっぺが颯爽と奪ってったので……」
「……ああ……」
――遠くから、びたん、と尻尾が床を叩く幻聴が聞こえた気がした。